■ 熊野の観光名所 |
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◆ 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) 和歌山県田辺市本宮町本宮 本宮村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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熊野信仰の中心地
34回と最多の熊野御幸を行った後白河上皇(1127〜1189)は、『源平盛衰記』によると、本宮へは34回訪れていますが、新宮と那智は15回。 鳥居の前に立つと、まず、大きな八咫烏(やたがらす)の幟が目を引きます。 鳥居をくぐり、杉木立のなかの石段へ。
神門の先、中央にあるのが第三殿。この第三殿が本社です。「証誠殿(しょうじょうでん)」といい、主神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ。家都御子大神(けつみこのおおかみ)ともいいます)を祀っています。
第一殿を「西御前(にしのごぜん)」といい、熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)と事解之男神(ことさかのおのかみ)を祀っています。 向かって右の第四殿は「若宮(わかみや)」といい、天照大神を祀っています。 明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野本宮大社は熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。 いつの時代から大斎原に社殿を構えるようになったのかはわかりませんが、明治22年まで社殿が水害で流されるなどということはおそらくなかったことと思います。 紀伊半島南部を襲った大雨が十津川の森林伐採後の山々で山津波を引き起こし、その土砂が川をせき止め、天然のダムを作り、そのダムが水を貯えた後に絶えかねて決壊。下流域を押し流し、十津川の村々に壊滅的な打撃を与えながら、 濁流となった熊野川は本宮大斎原の社殿をも呑み込みました。社殿のほとんどが流出し、森林破壊に対するつけを払わされた形となりました。 現在の大斎原の森は明治時代に伐採されたあとに植えられた杉が多くを占めていますが、人がそこを聖地として祭るようになった当初は、おそらくはこんもりとした照葉樹林の森であったことでしょう。 あるとき、大斎原を見ていて、私は、ふと「森の卵」というような言葉を思いつきました。 家都美御子大神は、古語で「食(衣食住の『食』)」のことを「ケ」ということから、「ケ=食」を司る神ではないかという説が一般的なようですが、私としては違うだろうと思います。大斎原を見て、そこから食物を想像することは私にはできません。 地上のほとんどが森に覆われていた縄文時代や弥生時代、森とは世界そのものであったのではないでしょうか。そうだとすると、「森の卵」は「世界の卵」といってもよいように思います。 いずれにしても、もともと熊野信仰は自然崇拝から生じたものなのでしょうから(那智は滝への崇拝から。新宮はその元宮が神倉神社であるとの説を受け入れれば、岩への崇拝から。本宮は川に浮かぶ森への崇拝から)、自然があまりに破壊され過ぎたときに社殿も破壊されるようになっていたのでしょう。今になって考えてみると、自然破壊に対する警報器のような役割を大斎原にあった本宮は果たしたのでした。 2年後の明治24年(1891年)3月に流出を免れた上四社を現在ある高台に遷座。流出した中四社・下四社と境内摂末社は旧社地「大斎原」の2基の石祠に祀られています。右の石祠に中四社・下四社を祀り、左の石祠に元境内摂末社を祀っています。 12の社殿の祭神は下記の通り。
また、明治元年(1868年 )の神仏分離令以前、熊野では神仏は習合していました。 平安末期、12世紀には、熊野三山それぞれの12の社殿に祀られた神々は熊野十二所権現と呼ばれ、すべて本体は仏や菩薩であると考えられました。 阿弥陀如来を本地とした家都美御子大神を主神とする本宮は、阿弥陀の極楽浄土とみなされ、その社殿は「証誠殿(念仏者の極楽往生を証明する社殿の意)」と呼ばれ、そこに参詣すれば浄土往生が確実になるとされ、平安後期以降、浄土教の聖地として栄えました。 白河上皇9回。 また、鎌倉時代に興り、日本全土に熱狂の渦を巻き起こした浄土教系の新仏教「時衆(じしゅう。のちに時宗)」の開祖・一遍上人(1239〜89)は「わが法門は熊野権現夢想の口伝なり」と自ら述べています。 このように本宮の主神・家都美御子大神が阿弥陀如来に比定され、阿弥陀如来の権現として信仰されてきたという事実からも、家都美御子大神が「食物の神」というのはやはり違うのではないか、と私は思うのです。 さて、熊野十二所権現の本地は下記の通り。
一万十万とは一万眷属・十万金剛童子のこと。これを一柱に数えています。 お勧めのお土産は、かつて熊野比丘尼(くまのびくに)が売り歩いた熊野午王宝印(くまのごおうほういん)。 熊野比丘尼とは、戦国時代ころから江戸時代にかけて、熊野信仰を布教して諸国をめぐった女性芸能者です。 牛王宝印とは、神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のことです。 なお、現在残る上四社の正式な参拝順は、院政期の熊野御幸の参拝順にちなみ、第三殿(本宮の主神を祀る)・第二殿(新宮の主神を祀る)・第一殿(那智の主神を祀る)・第四殿としています。 例大祭は4月13 〜15日。詳しくはこちらをご覧ください。 なお、神門内は撮影禁止です。撮影には許可が必要です。 (てつ) 2001.4 更新 ◆ 参考文献
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