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熊野川

熊野川を詠んだ歌

熊野川

 熊野川(くまのがわ)は、奈良県吉野郡の大峰山系を源とし、熊野本宮大社旧社地の傍らを流れる近畿最長(183km)の河川で、河口付近には新宮(熊野速玉大社)や熊野発祥の地といわれる阿須賀神社が鎮座します。

 熊野本宮大社は現在は高台にありますが、もともとは熊野川・音無川・岩田川の三つの川の合流点にある中洲に鎮座していました。
 現在地に遷座したのは古いことではなく、明治24年(1891)のことです。明治22年(1889年)の大水害により被害を受けて近くの高台に遷座しました。

 かつての本宮大社は、熊野川と音無川に挟まれ、さながら大河に浮かぶ小島のようであったといわれます。熊野川は別名、尼連禅河(にれんぜんが:ガンジス川の支流、ネーランジャナー川。河畔の菩提樹の下で釈迦が悟りを開いたと伝えられる)といい、音無川は別名、密河といい、2つの川の間の中洲は新島ともいったそうです。

 徒歩を原則とした熊野詣ですが、本宮-新宮間の往復には熊野川の舟運が利用されました。熊野川は「川の熊野古道」であったということができるでしょう。

 熊野川は単なる水上交通路ではなく、熊野参詣の道であり、他に類のないであろう「川の参詣道」として文化的な意味でとても貴重なものだと考えられ、現在は世界遺産に登録されています。

1.『新古今和歌集』から1首

   新宮に詣づとて、熊野河にて/太上天皇

熊野河くだす早瀬のみなれざほ(お) さすがみなれぬ波のかよひ路(ぢ)

(訳)熊野川を下す船が早瀬にさす水馴棹(みなれざお)は水に慣れているが、水に慣れていない私にはやはり見慣れない波の通い路であることよ。

 「さす」は「棹」の縁語。「みなれ」は「水馴れ」と「見馴れ」の掛言葉。
 隠岐での除棄歌。

後鳥羽院 巻第十九 雑歌中 1908)

2.『続古今和歌集』から1首

   くまの河の舟にて/太上天皇

熊野河せきりにわたす杉舟のへなみに袖のぬれにけるかな

(訳)熊野川の急流を渡す杉の船の舳先の波に袖が濡れてしまったなあ。

 せきりは瀬切。急流のこと。

後嵯峨院 巻第七 神祇歌 739)

3.能因法師の自撰家集『能因集』から1首

   熊野に詣でて、熊野河に舟に乗りて下るほどに、川の紅葉を見て

(われ)ひとりかは そこの水屑(みくづ)

   とあれば、みづからかう本(もと)を付く

くまがはの淵瀬に心なぐさめつ

   主人感之、連句などあり。

 

 能因法師は中古三十六歌仙のひとり。
 熊野川を下る舟の上で紅葉を見て詠んだ歌(「くまのがは」ではなく「くまがは」となっていますが)。

 下の句のほうが先にでき、あとから上の句を付けた歌。「連句などあり」とあるのは、能因の主人(不祥)がこの上の句に別の下の句を付けたということのようです。

くまがはの淵瀬に心なぐさめつ 我ひとりかはそこの水屑は

(訳)熊野川の淵瀬に心が慰められるよ。水底に沈む水屑を見ると、沈む身は私だけではないのだなあ。

 水屑は水底に沈む落ち葉や枝などのごみ。

4.正徹の家集『草根集』から1首

   雪埋苔径

熊野川山の苔路(こけぢ)はうづもれて雪にさをさすせぜの杉ふね

(訳)熊野川や山の苔道は雪に埋もれて、あちこちの川瀬で杉舟が雪に棹をさしていることだ。

(冬 6037)

 正徹は室町時代中期の歌人。

(てつ)

2003.3.13 UP
2003.3.14 更新
2003.3.23 更新
2003.5.1 更新
2022.7.13 更新

参考文献