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★ 熊野御幸(くまのごこう) |
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熊野を初めて詣でた上皇は宇多法皇で、907年のこと。それから80年ほど間をおいて、今度は花山法皇が992年に詣でています。しかし、どちらの熊野御幸も単発だったため、熊野信仰が爆発的なブームを起こすことはありませんでした。 花山上皇のときからほぼ百年後、1090年、白河上皇(1034〜1129)が熊野を詣でます。この白河上皇がじつに9回もの熊野御幸を行います。 白河上皇の9度の熊野御幸以降、以下のように熊野御幸が行なわれました。
これだけ多くの熊野御幸はありましたが、天皇が熊野を参詣したことはありません。熊野「行幸」はこれまで1度もなされたことがありません。あったのは熊野「御幸」のみ。熊野参詣は、権力と富と自由を手に入れた上皇だったからこそ、可能だったのです。 天皇は朝起きてから夜寝るまで、様々なしきたりに規制され、多忙を極め、自由な行動などできませんでした。しかし、上皇になったら、天皇の父親としての権力や財力を持ちながら、何ら法的な根拠を持つ地位ではないがゆえに自由を享受することができました。そのため、白河上皇はこれまでの制度や慣例などを気にせずに意のままに政治を行うことができたのです。 それゆえ、熊野「御幸」も可能だったのです。自由な行動を許された上皇だからこそ、熊野を参詣することができたのです。 しかし、なぜ熊野だったのでしょう。京都から往復1ヶ月もかけてなぜわざわざこんな辺鄙なところまで来たのか。その理由ははっきりとはわかりません。 天皇には皇室祖先神として伊勢神宮がありました。しかし、伊勢神宮は藤原氏と強く結びついています。そのため、反藤原の意図を持つ白河上皇は、伊勢神宮以外の神を求めたのでしょう。 (てつ) 2008.10.6 UP ◆ 参考文献
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