■ 熊野の説話 |
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◆ 熊野の本地6 熊野牛玉宝印 |
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三所権現と申すのは、証誠殿(しょうじょうでん)、中の宮、西の宮の三所のことである。証誠殿と申すのは、本地は阿弥陀如来、昔の喜見聖人がこれである。西の宮と申すのは、本地は千手観音、昔の五衰殿の女御がこれである。 牛玉宝印とは、神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のことです。 その牛王宝印を熊野ではカラス文字を使ってデザインしています。カラス文字といわれても、想像もつかないと思いますが、ひとつひとつの文字が数羽のカラス(と宝珠)で表されているのです。そのため、熊野の牛王宝印は俗に「おカラスさん」とも呼ばれます。下の画像は熊野本宮大社の牛王宝印です。 熊野の牛王宝印は、三山それぞれ、デザインが若干異なりますが、1枚の紙に5つの文字がカラス文字と宝珠で図案化されて記されています。 様々な寺社から発行されていた牛王のなかでもっとも神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。とくに武将の盟約には必ずといっていいほど、熊野牛王が使われたそうです。『吾妻鏡』には、源義経が兄・頼朝に自らの誠実を示すための誓約文を熊野牛王に書いたことが記されています(しかし、義経の嘆願は頼朝に拒絶され、義経は奥州藤原氏を頼って、亡命)。 熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。 江戸時代になると、遊女と客が取り交わす誓紙にまで熊野牛王が使われ、「誓紙書くたび三羽づつ熊野で烏が死んだげな」と小唄に歌われました。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という粋な都々逸もあります。この都々逸、幕末の志士・高杉晋作の作と伝えられています。 熊野牛王は誓約に用いられた他、家の中や玄関に貼れば、盗難除けや厄除け、家内安全のお札としても用いられました。『閑窓瑣談』には、こんな霊験譚が載せられているそうです。 亨保のころ、武蔵の国のある村の百姓の家で、2才の女の子が夜な夜な光り物の怪物に襲われ、それを家の奥からまた別の光の玉が現れて撃退し、女の子を守るということがあった。 熊野においでの際はぜひ熊野牛王宝印をお土産にどうぞ。
左が新宮(熊野速玉大社)の熊野牛王、右が那智(熊野那智大社)の熊野牛王です。 さて、「熊野の本地」に戻って、 人皇第十代崇神天皇の御時にまた、社が一所、顕われなさった。証誠殿の左に顕われなさった。善財王の御子、若一王子(にゃくいちおうじ)がこれである。また、中の宮と申すのは、昔の善財王のことである。人皇第十一代垂仁天皇の御時に、残りの八十四所の社が顕われなさった。 総じて、九所の社は、みな山内に顕われなさった。合わせると、十二所権現である。その他の王子達は東西にあって、道をお守りなさっている。 999人の后達は追ってきたけれども、何事もなく、赤虫(ツツガムシ科のダニ。成虫で1〜2mm。体色は赤)という虫になった。 吉野と熊野とを結ぶ大峰山脈。大峰の修験道では、大峰山脈を曼荼羅世界として受けとめています。曼荼羅とは仏の悟りの境地を具象化したものであり、修験道では山中の自然の存在ことごとくを大日如来の説法として受けとめるのです。 曼荼羅には金剛界曼荼羅と胎蔵曼荼羅の両部曼荼羅があり、大峰山脈も熊野側を金剛界曼荼羅、吉野側を胎蔵曼荼羅として見ていました(この物語によると。吉野側を金剛界曼荼羅、熊野側を胎蔵曼荼羅として見るのが普通のようですが)。 同じ帝(垂仁天皇)の御時、諸国に大疫病が起こった。これは昔、インドの毘舎離(びしゃり)城に発生した病気である。帝は大いに驚きなさって、たくさんの社を国々に祭り置きなさった。すべて合わせて3742所である。「三千七百余社の日本の鎮守」と申すのはこれである。 これはいずれの帝の御時であったかというと、人皇第二代の綏靖(すいぜい)天皇の御時。綏靖天皇と申す帝は、朝に夕に人を7人食らいなさった。臣下は何よりもこのことを嘆いた。誰ひとり生き残れるとも思われず悲しんだ。 そもそも「三千七百余社の日本の鎮守」は、熊野のことはとりたてていうまでもないが、すべて、金剛界・胎蔵、両部の曼荼羅の地である。鎮守の第一は伊勢大神宮である。これはつまり天照大神の心を推察するに、天照大神と神武天皇とは同体であろう。それはなぜかというと、惣当(そうとう)明神ともいうし、鋳師(いもじ)明神ともいうからである。 この辺り、よくわかりません。綏靖天皇の話も熊野には絡んでこないし(唐突に挿入された感じ。それともなんらかのつながりがあるのでしょうか?)。ともかく八咫鏡の第一の守護神は熊野権現であるということです。 ところで、綏靖天皇の食人伝説は、他に所見がないそうです。 『古事記』や『日本書紀』には、このこと以外、綏靖天皇に関しては、どこを宮にしただの、誰を皇后にしただの、子は誰だの、御陵はどこだの、そんなことが簡単に記されているだけです。 ともかくもこれにて『神道集』巻二の六「熊野権現の事」のお話はお仕舞いです。 (てつ) ◆ 参考文献
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