■ 熊野の説話 |
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◆ 神武東征、ヤタガラスの導き |
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熊野の神々の使いとされる八咫烏(やたがらす)。 『古事記』や『日本書紀』には、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)が東征の途上、天から遣わされたヤタガラスの道案内により熊野・吉野の山中を行軍したということが記されています。 神武天皇は初め、日向の高千穂の宮にいましたが、兄のイツセノミコトとともに東方に天下を治める都を造ろうと大和に向かいました。瀬戸内海を渡り、難波から淀川を溯上、河内に入り、大和に向かおうとしましたが、大和の豪族のナガスネビコの迎撃にあい、イツセノミコトが矢傷を負い、撤退。 さて、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコミコト)はそこから迂回しなさって熊野の村にお着きになったときに、大きな熊が草木のなかから出たり入ったりして、すぐに姿を消した。 このときに熊野の高倉下(タカクラジ)が一振りの横刀(たち)を持って、天つ神の御子(カムヤマトイワレビコミコトのこと)の倒れている所に来て、その横刀を献上したところ、天つ神の御子はたちまち目覚めて、「長寝したものだ」とおっしゃった。 そこで、神の御子はその横刀を得た仔細をお問いになったところ、高倉下が答えて、 すると、建御雷神は、『私が降らずとも、もっぱらその国を平定した横刀があるので、この刀を降しましょう』とお答え申し上げた。※この刀の名を佐士布都神(サジフツノカミ)という。またの名を甕布都神(ミカフツノカミ)という。またの名を布都御魂(フツノミタマ)。この刀は現在、石上神宮にいらっしゃる。 このとき、また、高木大神のご命令で、お教えになって、 記紀では八咫烏は天から遣わされたように記されていますが、八咫烏は熊野の神々のお使いです。 侵略者の象徴である八咫烏を、熊野の民が熊野の神々の使いとするようなことがあるだろうかと考えると、八咫烏はもともとは熊野土着の信仰であったと考えるのが自然なことだと思います。 人間や人間の集団が、特定の動植物との間に、不思議なつながりがあると信じて、その動植物の名前を自分につけたり、その動植物を傷つけたり殺したりしないという習俗をトーテミズムと呼びます。 熊野には、カラスをトーテムとする氏族がいて、他にもおそらく様々な動植物をトーテムとする氏族があったものと思われます。 神武軍は熊野・吉野の山中をヤタガラスに導かれました。 牟婁郡の真砂(まなご。西牟婁郡中辺路町。清姫の故郷です)という所に、千代包(ちよかね)という猟師がいた。獣待(ししまち)をしていたときに道が途絶えて、どこへ行くこともできない。そんなときに八咫烏(やたがらす)が出てきた。 猟師は大きな猪に手傷を負わせたが仕留めることができず、どこへ逃げたのかわからなかったが、逃がすに惜しい猪なので、探したが見つけられない。 その猟師は烏と一緒に行くと、曾那恵(そなえ。本宮大社旧社地の川向こうに備崎(そなえざき)という所があり、そこに備宿(そなえのしゅく)という修験道の霊場がありました。ですので、その辺りを曾那恵といったのでしょう)という所へ入った。猪はそこに倒れ伏していた。また、烏は何処ともなく姿を消していた。猟師は怪んで、この猪のことを忘れて、不審に思いながら、歩いていくと、烏もいなくなってしまったので、天を仰いで立っていたところ、イチイガシの大木の上に光る物を見つけた。 この物が自分に危害を加えようとする物だと思ったので、猟師は大きな鏑矢をつかんで、その発光物体に問いかけ、 この発光物体は3枚の鏡になって答えて言った。 猟師は、弓矢を投げ捨て、袖を合わせて、 猟師は奉る物がないので、間に合わせに山芋を掘り、鹿肉を切って供御にそなえ、折から五月五日、端午の節句であったので、携行食に持っていた麦を飯にして、それに山芋や菖蒲などを取り添えてお供えし改めて急ぎ山を出て、天皇の宣旨を賜ろうとして都へ上った。 夜を日に継ぎ、三所の御宝殿を件の所に造り、人も多く集まって、在家の数も300軒ばかりになった。その人々はみな熊野権現をもてなし申し上げた。権現の神力によって、人は楽しみ、世は栄えていった。千代包はその宮の別当(熊野三山の管理職)になった。このときの人皇は七代孝霊天皇と申した。 また、西日本の熊野修験に対し、東日本で興隆したのが羽黒修験ですが、その開山にも、カラスの導きがあったと伝えられます。 崇峻(すしゅん)天皇の第三皇子、蜂子(はちこ)皇子はカラスに導かれ、羽黒山に入り、そこで観世音菩薩を発見し、この地を修行地とした。羽黒山の名は、黒い羽のカラスに導かれたことに由来する。 神武もカラスに導かれ、熊野の神々の最初の祀り手である猟師・千代包も、羽黒修験の開祖・蜂子皇子も、カラスに導かれました。 カラスはとても頭のよい動物で、鳥類のなかではもっとも知能が高いといわれています。カラスは声で仲間とコミュニケーションをとる社会的な動物で、学習もし、遊びもします。 また、空を飛ぶカラスは、地上を這う人間や動物たちよりはるかに広い視野を持っています。 ではどうやって大きな動物の肉を得るかというと、カラスは目と知恵を使います。優れた視力や観察力、情報収集力、知恵を駆使して、カラスは肉を得ます。 地上に死んでいる動物の姿を見つけた場合、その動物が猪や熊であったら、カラスのくちばしでは、その分厚い毛皮を引き裂くことはできません。そこで、カラスは手近なところにいる猟師や肉食動物を探し、連れてきて、毛皮を引き裂いてもらうのだそうです。 獲物を追う猟師や肉食動物の姿を見つけた場合、猟師や肉食動物に獲物のありかを教え、狩りのサポートをします。 動物を狩り、肉を食べる人間や肉食動物にとって、獲物のありかを教えてくれるカラスは、非常に有り難い存在でした。 カラスは、狩猟する人間にとって、先を見通す目をもった賢者であり、獲物のありかまで導いてくれる先導者であり、特別な存在であり、神格化もされました。 北極圏に住むイヌイットの神話では、カラスが世界を創造しました。 生物が生まれる前、一つの堅い殻があった。 「父なるオオガラス」は深淵の下に興味をもち、スズメを使いに出すと、スズメは出来たばかりの陸地があることを伝えた。 かれはスズメとともに地上に降り、荒涼とした地上にたくさんの植物を植えた。 オオガラスは、日本ではワタリガラスと呼ばれています。体長1mほどになる世界最大のカラスで、現在の日本では冬期、北海道に渡ってくるためワタリガラスと名づけられましたが、ヨーロッパや南北アメリカなどでは留鳥であるため文学作品などではオオガラスと訳されることもあります。そこでここではオオガラスと表記しました。 八咫烏は大きなカラスという意味ですし、1咫は親指と中指を広げた長さで4寸であるという説があるので、それに従うと8咫は3尺2寸、およそ1mということになります。オオガラスなら、ヤタガラスにぴったりだと思いますが、残念ながら熊野にオオガラスは生息していないです。 オオガラスの妻が夫に「大地を造ってよ」と言った。夫のオオガラスは「そんなこと、できないよ」と答えた。 カナダ大平洋沿岸のハイダ族の神話では、 大洪水がハイダの土地を襲った。荒れ狂う波の上には島のてっぺんしか見えなかった。その島のてっぺんには腹をすかせた一羽のオオガラスが止まっていた。 「誰かいないか」 オオガラスが初めて見たその生き物は、2本足で立ち、羽根も翼もなく、裸で、変わった姿をしていて、それがハイダの人々の祖先であった。 と語られます。ハイダ族には、オオガラスが海に漂う貝の口をこじ開けて、そこからハイダの祖先たちを救い出し、島に運んだという神話もあります。 オオガラスは、人間や植物や生き物を造った。しかし、それらは動かず、魂がなかった。それを寂しく思ったオオガラスは、鷹の若者に頼んで海中から火を取って来させ、それを世界中の木々や動物に降り注いで、魂を吹き込んだ。 この神話には、天上からオオガラス自らが火を取ってきたとの話もあるようです。 北欧神話の至高神、オーディンは神々の国アースガルズの高座に座して世界を見回している。オーディンの両肩には二羽のオオガラス、フギン(思考)&ムニン(記憶)が止まっている。二羽のオオガラスは、朝が来ると、オーディンの肩から飛び立って、夕方には世界中のことを見聞きして戻り、すべての出来事をオーディンに伝える。 北欧では、何でも知っていることを「オオガラスの知恵」というそうです。 また、カラスは太陽と強い結びつきをもつ鳥です。 これは天照大神が天の岩戸に隠るとき、「子孫に見せるために御姿を鋳留めるべきです」と申し上げると、天照大神は「もっともなことである」といって、御姿を鋳留めさせて残しなさった。これを内侍所(ないしどころ。三種の神器のひとつの八咫鏡(やたのかがみ)のこと)という。この内侍所を鋳師の大明神が預かりなさって、神武天皇の時にお渡し申し上げなさった。祖父.曾祖父の形見として崇めたてまつりなさった。 とあり、太陽神の姿をかたどった八咫鏡の第一の守護神が熊野権現であると語られています。 ギリシアの神話では、光の神で太陽神とも考えられるアポロンはカラスを使いとしていました。 神からの警告を受けたノアは、箱舟に家族と動物の対を乗せて、洪水から助かった。ノアは水が引いたかどうかを調べるためにカラスを放った。が、カラスは飛んでいったきり帰ってこなかった。しばらくしてノアはハトを放ち、ハトはオリーブの枝をくわえて帰ってきたので、ノアは水が引いたことを知った。 と語られ、またアイヌの神話では、カラスが太陽を救います。 神が世界を作ろうとしたとき、魔物が邪魔をして太陽を飲み込もうした。そのとき、カラスが魔物ののどに飛び込んで、のどをつまらせ、世界を救った。カラスは一度世界を救ったことがあるので、何をしてもいいと思って、人間の食べ物を盗んだりする。 中国の漢族の神話では、 尭(ぎょう)帝の時代、十個の太陽が一斉にみな空に出たため、地上の草木が焦げて枯れ始めた。そこで、帝は弓の名人羿(げい)に太陽を射落とすように命じた。羿(げい)は空に向かって矢を放ち、九個の太陽のなかにいる九羽のカラスの体を射抜いた。カラスたちはみな死に、地上に落ちた。こうして太陽は一個だけになり、地上の人々は焼死を免れた。 とあります。古来、中国では、太陽の中に三本足のカラスが住むと考えられ、また、太陽はカラスによって空を運ばれるとも考えられていました。 この中国の太陽の象徴である三本足のカラスが日本に伝わり、日本でも三本足のカラスが太陽の象徴とされたのでしょう。 熊野のヤタガラスも三本足で描かれますが、これはおそらく、日本の朝廷が中国から取り入れた太陽の象徴としての三本足のカラスが熊野のカラス信仰と習合し、熊野のヤタガラスも三本足になったものと考えられます。 しかし、そもそも、なぜカラスが太陽と結びつくのでしょうか。 太陽黒点とは太陽の表面に見える黒い点です。黒く見えるのは温度が周囲に比べて低いためで(太陽の表面温度は約6000度。黒点は約4000度だそうです)、黒点が低温なのは、強力な磁場によって太陽内部で起こる熱の移動が妨げられているためと考えられています。 人類がいつごろから太陽黒点の存在に気付いていたのかははっきりとはしませんが、太陽に霧や靄がかかっているときや日没のときなどであれば、肉眼でも黒点を見ることはできるそうで(目を傷めそうですけれど)、紀元前28年頃には、古代中国の天文学者たちが、太陽黒点の変化周期を体系的に観察し、記録に残しているそうです。 熊野が生んだ超天才・南方熊楠も、太陽とカラスの結びつきについて、太陽黒点がカラスの黒に似ているからで、そのうえカラスが定まって暁を告げるからである、と述べています。 ふと、いま、カラスが光り物好きであることから光や太陽と結びつけられたのではという説を思いつきました。 しかし、やはりカラスといえば真っ黒な体の色が真っ先に思い浮かびます。まず、この真っ黒な体の色が太陽と結びつくいちばんの理由なのでしょう(他にも付随的な理由はあるのかもしれませんが)、おそらく。そうすると、太陽黒点=カラス説がやはり有力です。 考えてみれば、カラスは、人間にとっていちばん身近な野生動物なのですね。カラスに関する俗信などを調べてみると、いろいろあって面白いです。 さて、日本サッカー協会のシンボルマークとしても用いられているヤタガラス。 シンボルマークは中村覚之助氏の死後に制定されたものですが、中村氏の日本のサッカー普及への貢献の大きさをかんがみ、氏の故郷である熊野の神使をシンボルマークとして取り入れようということになったのではないでしょうか。 また、白河院の側近で、蹴鞠(けまり)の達人と謳われた大納言 藤原成通(ふじわらのなりみち。1098〜?)が、技能向上を祈願するため、何度も熊野を詣でたということも考慮のうちにあったのかもしれません。 藤原成通には様々な蹴鞠にまつわる伝説があり、2000日間、毎日、リフティング修行をやり続けたとか、1000日のリフティング修行ののち、鞠の精と会見した(!)とか、高く蹴り上げた鞠が空高く消えていった(!)とか、清水寺(きよみずでら)本堂舞台の欄干の上を端から端まで鞠を蹴りながら何度も往復してみせた(!)とか。すごすぎます、藤原成通。 サッカーの好きな方は、ぜひ、熊野においでの際には八咫烏のお守りをGETしてくださいませ。 また、カラスを神の使いとする熊野三山では、何羽ものカラスの姿を組み合わせて文字を現わした熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)というお札を発行しています。カラス文字のお札は熊野ならではの物ですので、ぜひともこちらもお土産にどうぞ。 (てつ) 2002.3.16 UP ◆ 参考文献
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