■ 熊野古道 九十九王子 |
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◆ 伏拝王子(ふしおがみおうじ) 和歌山県田辺市本宮町伏拝 伏拝村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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熊野本宮の森を遠望し伏し拝んだ場所
熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子があり、ここから本宮方面に展望が開きます。 伏拝王子には石祠と和泉式部供養塔と伝わる卒塔婆があります。もともとはそれぞれに別の場所にあったものですが、昭和48年(1973年)に現在地に移され、並べられて置かれました。 伏拝王子にまつわる伝説として、平安中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ。977頃〜没年不明。中古三十六歌仙の一人)が登場する次のようなお話があります。 和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。 晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、 もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。 歌の功徳によって神仏からご利益を受ける歌徳説話の一種です。
何が違うのかというと、熊野の神は、ハンセン病の患者であろうと、生理中の女性であろうと、およそ「浄不浄をきらはず」、受け入れるということです。いまの女性にとっては納得いかないことかもしれませんが、かつては女性の生理は不浄なものでした。
院政期の記録に伏拝王子の名はなく、正中3年(1326年)の仁和寺蔵の『熊野縁起』や文明5年(1473年)の『九十九王子記』などにもなく、享保15年(1730年)の『九十九王子記』にようやく登場します。 和泉式部供養塔は、卒塔婆の上に法篋印塔の塔身と蓋を積み上げたもので、延応元年(1239年)の銘があります。
次の祓戸王子までは約1時間。 ◆ 参考文献
(てつ) 2008.11.2 UP
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