| ■ 熊野入門 | ||||||
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★ 熊野古道とは何? |
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熊野古道とは、熊野と各地を結ぶ熊野詣の道の総称です。「熊野道」「熊野街道」「熊野参詣道」などとも呼ばれます。
紀伊路と伊勢路の他に、高野山から南下して伯母子岳や果無(はてなし)山脈を越えて本宮に至る小辺路(こへち。果無街道ともいう)や吉野から大峰山脈を縦走する行者道を行く大峰奥駈け道がありました(下の地図を参照ください)。
※ ※ ※ ※ ※ さて、「広大慈悲の道なれば紀路も伊勢路も遠からず」と歌われた紀伊路と伊勢路ですが、平安時代の末から、上皇・女院・貴族、あるいは武士たちが熊野を詣でるのに紀伊路の中辺路(なかへち。紀伊路は熊野の玄関口・田辺で二つに別れます。海岸をたどる大辺路(おおへち)と、山中を東に分け入る中辺路です)を利用するようになり、紀伊路の中辺路が熊野詣の公式ルートとなりました。 そこで、熊野古道を代表して、紀伊路の中辺路ルートのことを少々説明したいと思います。 京から熊野までは、紀伊路の中辺路を利用すると、往復約1ヶ月、距離にして往復約600kmの道のりです。
という今様があるように、辺境の山岳地帯にある熊野へ詣でることは都人にとってまさしく苦行の旅であって、苦しみながら詣でるからこそ、熊野の神様の御利益があるのだとされました。そのため、徒歩で行くことが原則とされました(往路に関しては。復路に関しては馬などを利用することも可で、淀川と熊野川の往復は船を利用するのが一般的でした)。 京都を出発した上皇や貴族たちは、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸しました。そこからが熊野古道紀伊路の始まりです。天満橋から海岸筋を通り、熊野の玄関口、口熊野といわれた田辺まで南下。田辺からは中辺路の山中の道を本宮へ向かう。本宮からは熊野川を船で下り、熊野川河口にある新宮に詣る。新宮からは再び徒歩で海岸線沿いを辿り、それから那智川に沿って那智に登っていく。那智からの帰途は、再び新宮を経、熊野川を遡行するか、あるいは那智の背後にそびえる妙法山に登り、大雲取越え・小雲取越えの険路を越えるかして本宮に戻り、再び中辺路を通って都に帰っていく。これが紀路・中辺路ルートです。 もうひとつの紀路、大辺路は、海岸沿いに海を見ながら行く風光明美な道だったようです。難点は距離が長く、時間がかかるということ。風景を楽しみながらのんびり行くことができる人が利用したようです。 さて、熊野詣の公式ルートである紀路・中辺路ですが、その道筋には、所々に王子と呼ばれる神祠が祀られています。 道中最初の王子「窪津王子」は、紀伊路の出発点、淀川河口付近、大阪市天満橋の辺りにあります。そこから片道300kmに及ぶ紀路・中辺路の道中、熊野三山に至るまで多くの王子が祀られています。その数は、現在、確認されているもので、およそ100。 大辺路や伊勢路、小辺路などには現われず、紀路・中辺路に集中的に現われた王子。出現時期も大半が12世紀の院政期。紀路・中辺路の多数の王子は、院政期の熊野詣が生み出した産物といえるでしょう。 熊野古道とは、中世、日本最大の霊場であった熊野へと続く信仰の道。 (てつ) 2002.12.28 UP ◆ 参考文献
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