■ 熊野の歌 |
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◆ 和泉式部 |
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熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子(ふしおがみおうじ。王子とは熊野権現の御子神。熊野権現の分身のこと)があります。 和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。
すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、
そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。 歌の功徳によって神仏からご利益を受ける歌徳説話の一種です。 南北朝から室町時代にかけて、熊野信仰を全国に広めていったのは、神道でも修験道でもなく、一遍上人を開祖とする時衆(じしゅう)という仏教の一派でした。この和泉式部の伝説は、時衆の念仏聖たちが熊野の神は他の神様とはちょっと違うのだということをアピールするために作った物語のひとつなのだと思われます。 何が違うのかというと、熊野の神は、ハンセン病の患者であろうと、生理中の女性であろうと、およそ「浄不浄をきらはず」、受け入れるということです。いまの女性にとっては納得いかないことかもしれませんが、かつては女性の生理は不浄なものでした。 ・『風雅和歌集』より1首。
(巻第十九 神祇歌 2109・新2099) この他に熊野に関連する歌をさがしてみると、いくつかありました。 ・『詞花和歌集』より1首。和泉式部らしく恋の歌。
(巻第八 恋下 269)
この歌の「み熊野」は、「うら」を導くための枕詞的な使われ方をしています。自分を振った相手の姿を目にして恨めしさと恋しさに揺れる心を詠んだ歌です。 ・『続後撰和歌集』より1首。やはり恋の歌。
(巻第十五 恋歌五 947・新938)
「み熊野の浦の浜木綿」が「重ね」を起こすための序詞であることから、この歌が作られています。 せっかくですので、ここで「熊野」を離れて和泉式部のことを少しご紹介しておきます。
(巻第二十 哀傷 1342)
少女時代の作とされますが、罪障深い和泉式部がこの歌によって成仏したというお話も(『古本説話集』、『無名草子』)。宗教的な色合いが撰者の花山法皇(968〜1008)の気に召したのか、数多ある和泉式部の歌からこの1首のみ、選ばれています。 ちなみに、『拾遺和歌集』は、『古今和歌集』『後撰和歌集』に継ぐ第三の勅撰集(1005〜1006に成立)で、一条天皇の御代に花山上皇が自らの手で編纂した特異な勅撰集なのです(普通は、天皇が歌人に命じて編纂させます)。 というか、和泉式部があまりにスキャンダラスな女性だったので、同時代の人間には反感のようなものがあったのでしょうか。 和泉式部。父は越前守 大江雅致(おおえのまさむね)、母は越中守 平保衡(たいらのやすひら)のむすめ。977年頃に生まれました。 そのころから、式部は、冷泉天皇の第三皇子 弾正宮為尊親王(だんじょうのみや、ためたかしんのう)と恋愛関係に陥ります。 為尊親王の死に落ち込む式部のもとに弟の第四皇子 帥宮敦道親王(そちのみや、あつみちしんのう)が現れ、今度は敦道親王と恋愛関係に陥ってしまいます(この敦道親王との恋愛を綴ったものが『和泉式部日記』です)。敦道親王は式部を自邸に入れ、愛欲の生活に入ります。それを親王の正妃が怒り、邸を出て行ってしまうという事態にまでなりました。 1年の喪に服したのち、式部は一条天皇中宮 彰子(しょうし。藤原道長のむすめ)に娘の小式部内侍と共に仕えます(同僚に紫式部や赤染衛門がいました)。これが縁となって、30歳を過ぎたころ、20歳も年上の藤原保昌(ふじわらのやすまさ。道長の家司[けいし])と再婚します。1013年頃、丹後守となった夫とともに任国に下ります。そこでも様々な浮名を流し続けるという・・・ 和泉式部と関係があったらしい男性の名前を並べあげていくと、2人の夫(橘道貞・藤原保昌)と2人の皇子(為尊親王・敦道親王)の他に、源俊賢、源雅通、源頼信、藤原頼宗、道命阿闍梨などなど。名前を挙げられている男性だけでこれだけいるのですから、実際にはもっともっと多くの男性と関係があったのでしょう。藤原道長から「浮かれ女」と呼ばれたというのも、もっともな話です。 『拾遺和歌集』では1首のみでしたが、『拾遺和歌集』からおおよそ80年後に白河天皇の勅命にて作られた次の勅撰集にはなんと67首も選ばれています。2位の相模が40首。2位以下の歌人をダントツに引き離して堂々の1位。『後拾遺和歌集』を代表する歌人になりました。
(巻十三 恋三 755)
(巻十四 恋四 801)
(巻十四 恋四 802)
(巻二十 雑六神祇 1162)
この歌に対しては、伏拝のときと同じように、神様からの返歌がありますので、ついでに紹介します。返したのは、貴船明神。
(巻二十 雑六神祇 1163)
情感あふれる艶やかさが和泉式部の歌の魅力です。 (てつ) 2003.4.8 更新 ◆ 参考文献
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