| ■ 熊野の観光名所 | ||||||||||||||
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◆ 熊野古道「大雲取越・小雲取越」(おおくもとりごえ・こくもとりごえ) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町〜熊野川町〜田辺市本宮町 |
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京都を出発し、船に乗って淀川を下り、現在の大阪市天満橋の辺りで上陸。海岸筋の熊野街道を熊野の玄関口、口熊野といわれた田辺まで南下。 ですので、もちろん本宮から那智に向かってもいいですが、那智から本宮に向かうのがかつての「大雲取越え・小雲取越え」の基本です。 ※那智へのアクセス 那智から本宮へ向かう「大雲取越え、小雲取越え」は西国三十三所観音巡礼のメインルートです。 「大雲取越え、小雲取越え」は今は、2日かけて歩くのが一般的ですが、昔の人は1日で歩いたそうで、後鳥羽上皇の熊野御幸にお供した藤原定家も「大雲取越え、小雲取越え」を1日で越え、日記『後鳥羽院熊野御幸記』に、 終日嶮岨を超す。心中は夢の如し。いまだかくの如きの事に遇わず。雲トリ紫金峰は手を立つるが如し。・・・ などと記しています。よっぽどしんどかったのでしょうね。(^_^;) 「大雲取越え、小雲取越え」は、また「死出の山路」とも呼ばれ、そこを歩いていると、亡くなったはずの肉親や知人に出会うといわれています。疲労困ぱいのなか、幻覚を見るのでしょうか。昔は行き倒れになった人も多かったらしいです。ダルという妖怪に取り憑かれたという話も伝えられています。 紀州が生んだ世界的博物学者南方熊楠(みなかたくまぐす)も雲取を歩いていてダルに取り憑かれたことがあるといいます。 予、明治三十四年冬より2年半ばかり那智山麓におり、雲取をも歩いたが、いわゆるガキ(※ダルのことです)に付かれたことあり。寒き日など行き労れて急に脳貧血を起こすので、精神茫然として足進まず、一度は仰向けに仆れたが、幸いにも背に負うた大きな植物採集胴乱が枕となったので、岩で頭を砕くを免れた。それより後は里人の教えに随い、必ず握り飯と香の物を携え、その萌しある時は少し食うてその防ぎとした。 南方熊楠は、同じ文章中に、菊岡沾涼の『本朝俗諺志』という書物からダルに関する話を引用していますので、それを口語訳して紹介します。 紀伊国熊野に大雲取、小雲取という二つの大山がある。この辺に深い穴が数カ所あり、手頃な石をこの穴に投げ込むと鳴り響いて落ちていく。2、3町(1町は約109m)、行く間、石の転がる音が鳴りつづけているという限りのない穴である。 かくのごとく険しい道ですし(とくに大雲取越えがきつい)、歩き始めたら大雲取を越えきるまで(時間にして約5時間35分)人家はありませんし(小口(こぐち)と小和瀬(こわぜ)に集落がある)、小雲取にしても越えきって請川(うけがわ)に出るまで(約4時間)人家がありませんので、「大雲取越え、小雲取越え」を歩く場合は、2人以上で歩かれることをお勧めします。 ところで、今の小雲取越えは後世に開かれた道だということで、『続風土記』によると、大雲取山を越え、小雲取を越える(小雲取山という山は具体的にはありませんが)その途中、如法山から東に方向を変え、「番西(ばんぜ)道」という番西峠(現在は万才峠と書く)を越える道を通り、志古(しこ)に出、熊野川沿いに大津荷(おおつが)、請川(うけがわ)を辿るというルートが本道だったそうです。
(『山家集』下 雑 977) という歌を残していますので、番西道を使って本宮に戻ったようです。 (てつ) 2003.6.14 更新 ◆ 参考文献
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