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◆ 平家物語10 平維盛の入水


補陀洛山寺

 『平家物語』巻第十、「維盛入水」を現代語訳。
 さて、熊野三山を詣でた平維盛(たいらのこれもり:1158年〜1184年)の一行は……

 熊野三山の参詣を無事にお遂げになったので、浜の宮と申す王子の御前から一葉の舟に棹さして、万里の蒼海にお浮かびになる。遥か沖に山成(やまなり)の嶋という所がある。それに舟を漕ぎ寄せなさって、岸に上がり大きな松の木を削って、中将の名札を書き付けられた。「祖父太政大臣平朝臣清盛公、法名浄海(じょうかい)、親父内大臣左大将重盛公、法名浄蓮(じょうれん)、三位の中将維盛、法名浄円(じょうえん)、生年27歳、寿永3年3月28日、那智の沖にて入水す」と書き付けて、また沖へ漕ぎ出しなさる。

 決心していたことではあるが、今際のときになったので、気が滅入るようで悲しくないということはない。頃は3月28日のことなので、海路は遥かに霞わたり、あわれをもよおす類いの景色である。ただ大概の春でさえも、暮れ行く空は物憂いものだが、ましてや今日を限りのことなので、気が滅入ったことであろう。沖の釣り舟が波に消え入るように思われるが、さすがに沈みはしないのをご覧になって、自分の身の上はと思われたのであろうか。

 雁が北国を目指して飛んでいくのを見ても、故郷の妻子への便りをことづけたく、また蘇武が雁に手紙を託した悲しみに至るまで、思いやらないことはなかった。「これは何事か。今なお妄執が尽きないとは」と思い返しになって、西に向かって手を合わせ、念仏なさる心のうちでも、「すでにただ今が自分の最期のときであるとは、都ではどのようにかして知っているだろうし、風の便りの言づても、今か今かと待っていることだろう。自分が死んだことは最期には知れることだろうから、この世にないものと聞いて、どんなにか嘆くであろう」などと思い続けられなさったので、念仏を止めて、合掌の手を崩して、聖(※滝口入道。もと、平重盛に仕えていた武士、斉藤時頼。恋人・横笛への思いを振り切るために出家し、女人禁制の高野山で修業を積み、大円院第8代住職となった。※)に向かっておっしゃった。

 「嗚呼、人の身に妻子というものは持ってはならないものであるのだな。この世でものを思わせられるだけでなく、後世菩提のさまたげとなる口惜しさよ。ただ今も思い出しているぞ。このようなことを心中に残せば、罪が深いと聞いているので、懺悔するのだ」

 聖も哀れに思われたけれども、自分まで気が弱くなってはできなくなるだろうと思い、涙をこらえ、そのような様子は見せずに相手して申し上げた。

 「まことにそのようには思われましょう。身分の高い者も低い者も、恩愛の情というものは人の力でどうこうできないものなのです。なかでも夫婦は、一夜の枕を並べるのも五百生の宿縁(※ごひゃくしょうのしゅくえん:500度生まれ変わる前から結ばれている縁※)と申しますので、先世の契りが深いのです。生者必滅、会者定離は浮き世の習いでございます。

 末の露もとのしずくのためしもあるので、たとえ遅い早いの違いはあっても、遅れ先立つ御別れを最後までしなくて済むというようなことがございましょうか。かの離山宮での玄宗と楊貴妃の秋の夕べの約束も、ついには心を悲しませるきっかけとなり、漢の武帝が甘泉殿に妻の生前の姿を描かせたというが、その恩愛の情も終わりがないということではない。

 松子・梅生(※しょうし・ばいせい:ともに漢の仙人※)にも死の悲しみはある。等覚・十地(※とうがく・じゅうじ:等覚は菩薩の中の最上位、十地は等覚に次ぐ菩薩の位※)でもやはり生死の掟には従う。たとえ長生きの楽しみをお誇りになるとしても、このお嘆きはお逃れになることができない。たとえまた百年の齢をお保ちになるとも、このお恨みはただ同じことと思われましょう。

 第六天の魔王という外道は、欲界の六天を我が領土とし、なかでも欲界に住んでいる衆生が生死を離れて悟りを得ようとすることを惜しみ、あるいは妻となって、あるいは夫となって、これを妨げようとします。

 三世の諸仏は一切衆生を我が子のように思われて、再び他の世界に戻ることのない極楽浄土に進め入れようとなさるが、妻子というものは限りもない遠い昔からずっと生死の世界に流転する絆となるがゆえに、仏はきつく戒めになるのです。

 妻子が恋しいからといって気弱にお思いになってはなりません。源氏の先祖の伊予の入道、頼義(らいぎ、よりよし)は、勅命によって奥州の安倍貞任(あべのさだとう)・宗任(むねとう)を攻めようとして、12年の間に人の首を斬ること1万6千人、山野の獣や川の魚が他の命を絶つことは幾千万か数はわからない。そうでありながら終焉のとき、一念の菩提心を発したことによって、往生の願いを遂げたと受けたまわっています。

 なかでも出家の功徳は莫大であるので、先世の罪障はみな滅びるでしょう。たとえ人が高さ三十三天まで届くまでの七宝の塔を建てようとも、1日の出家の功徳には及びません。たとえまた百年千年の間、百人の羅漢(※阿羅漢(あらかん)に同じ。最高位の修行者※)を供養したとしても、その功徳は1日の出家の功徳には及ばないと説かれています。罪の深かった頼義は心強く道を求めたので往生を遂げました。さほどの罪業がおありでないのに、あなたはなぜ浄土へお参りにならないのですか。

 そのうえ、当山の権現は本地阿弥陀如来でございます。阿弥陀如来はその四十八願の第一願「無三悪趣」の願から第四十八願の「得三宝忍」の願まで、一々誓願していらっしゃるので、衆生化度の願が叶わないということはない。なかでも第十八願では「もし自分が仏になったときに、十方の衆生が真心をもって自分を信じ極楽に生まれようとして念仏を10遍唱えてなお極楽に生まれることができない者があれば、自分は正しい悟りを開いたといえない」と説かれたので、1度ないし10度の念仏で極楽往生できる望みはあります。

 ただ深く信じて、ゆめゆめお疑いにならないように。2つ都内真心をこめて、あるいは10遍、あるいは1遍でもお唱えになるならば、弥陀如来は六十万億那由他恒河沙の無限大に大きな体を縮めて1丈6尺のお姿で現われ、観音勢至の2菩薩以下の無数の菩薩が百重千重に弥陀を取り巻き、音楽詠歌を奏して、ただ今極楽の東門を出て来迎しなさるので、御身は蒼海の底に沈むとお思いになるとも、紫雲の上にお上りになるのです。

 成仏得脱して悟りをお開きになれば、娑婆の故郷に立ちかえって妻子をお導きになることもできます。少しも疑ってはなりません」
と言って、鐘を打ち鳴らして進め申し上げた。

 中将は今が極楽往生の絶好の機会だとお思いになり、たちまちに妄念をひるがえして、声高に念仏を100遍ほど唱えつつ、「南無」と唱える声とともに、海へお入りになった。兵衛入道も石童丸も、同じく御名を唱えつつ、続いて海へ入った。

 与三兵衛重景(よそうひょうえしげかげ:平維盛の乳母子)と石童丸(いしどうまる)は、屋島の陣中から逃亡したときから連れていた従者。高野山で維盛とともに出家しています。
 維盛は享年27。兵衛重景は享年26〜27。石童丸は享年18。若き命が熊野の海に沈みました。

 維盛が熊野の海に入水したことは都にも伝わり、親交のあった建礼門院右京大夫はその死を悼み、歌を詠んでいます。

春の花色によそへし面影のむなしき波のしたにくちぬる

悲しくもかゝるうきめをみ熊野の浦わの波に身を沈めける

補陀洛山寺

 浜の宮隣の補陀洛山寺の裏山には維盛の供養塔があります。

2008.12.26 UP

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 ◆ 参考文献

佐藤謙三校注『平家物語 (下巻) 』角川文庫ソフィア
梶原正昭・山下宏明 校注 新日本古典文学大系『平家物語 (下)』岩波書店
加藤隆久 編 『熊野三山信仰事典』戎光祥出版
水上勉『平家物語』学研M文庫
別冊太陽『熊野―異界への旅』平凡社
高野澄『すらすら読める「平家物語」』.PHP文庫
高野澄『熊野三山・七つの謎―日本人の死生観の源流を探る』祥伝社ノン・ポシェット
乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵 編『日本伝奇伝説大事典』角川書店

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■平家物語
1 平清盛の熊野詣
2 藤原成親の配流
3 成経・康頼・俊寛の配流
4 平重盛の熊野詣
5 以仁王の挙兵
6 文覚上人の荒行
7 平清盛出生の秘密
8 平忠度の最期
9 平維盛の熊野詣
10 平維盛の入水
11 湛増、壇ノ浦へ
12 土佐房、斬られる
13 平六代の熊野詣
14 平忠房、斬られる

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