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◆ 平家物語14 平忠房、斬られる


 『平家物語』巻第十二、「六代被斬(ろくだいきられ)」より熊野関連部分を現代語訳。

 小松殿(※平重盛※)の御子、丹後侍従忠房(※たんごのじじゅう ただふさ:平忠房〔たいらのただふさ〕。重盛の六男、維盛の弟。官位は従五位下侍従兼丹後守。そのため「丹後侍従」と呼ばれた※)は、屋島の戦さより落ちて行方も知れずいらっしゃったが、紀伊国の住人、湯浅権守宗重(ゆあさのごんのかみむねしげ)を頼んで、湯浅の城にこもられた。

 これを聞いて平家に思いをかけていた越中次郎兵衛(えっちゅうのじろうびょうえ)・上総五郎兵衛(かずさのごろうびょうえ)・悪七兵衛(あくしつびょうえ)・飛騨四郎兵衛(ひだしろうびょうえ)以下の兵どもが付き申し上げたとのことが聞こえたので、伊賀伊勢両国の住人らがわれもわれもと馳せ集まる。

 すぐれて強い者どもが数百騎立て籠るとのことが聞こえたので、熊野別当が鎌倉殿(※源頼朝※)から仰せをこうむって、2〜3ヶ月の間に8度襲いかかって攻め戦う。城の内の兵どもが命を惜しまず防いだので、毎度、味方が追い散らされ、熊野法師が数多く討たれた。

 熊野別当は鎌倉殿へ飛脚を奉って、「当国湯浅の合戦のこと、2〜3ヶ月の間に8度襲いかかって攻め戦ったが、城の内の兵どもが命を惜しまず防ぐ間、毎度、味方が追い落とされて、敵を征服することができません。近国2、3カ国の兵を給わって攻め落とすべきです」ということを申し上げたところ、鎌倉殿は「そんなことをしたら、国の負担が人の煩いとなるだろう。立て籠る凶徒はきっと海山の盗人であろう。山賊海賊を厳しく取り締まって城の口を固めてまもれ」とおっしゃった。その通りにしたところ、ほんとうに後には人が1人もいなかった。

 鎌倉殿は謀に、「小松殿の君達で、1人でも2人でも生き残りなさっている者は、助けてさしあげよ。池の禅尼の使いとして頼朝を流罪になだめられたのは、ひとえにかの内府の芳恩であるので」とおっしゃったので、丹後侍従は六波羅へ出て名乗られた。すぐに関東へ下し申し上げた。

 鎌倉殿が対面して「都へお上りください。田舎のほうに思いついたところがあります」といって、騙して上京させ申し上げて、後から追うように人を上らせて勢田の橋の辺で斬ってしまった。

 平忠房(たいら の ただふさ、生年未詳〜1186年)は平重盛の六男ですが、五男という説もあります。
 平安時代末期の公家・吉田経房(よしだ つねふさ:1142年 - 1200年)の日記『吉記(きっき)』には文治元年(1185年)12月8日の項に、「同日、小松内府息忠房招引関東事」とあり、16日に「忠房被切首事」との記述があります。

2009.1.15 UP

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 ◆ 参考文献

佐藤謙三校注『平家物語 (下巻) 』角川文庫ソフィア
梶原正昭・山下宏明 校注 新日本古典文学大系『平家物語 (下)』岩波書店
加藤隆久 編 『熊野三山信仰事典』戎光祥出版
水上勉『平家物語』学研M文庫
別冊太陽『熊野―異界への旅』平凡社
高野澄『すらすら読める「平家物語」』PHP文庫
高野澄『熊野三山・七つの謎―日本人の死生観の源流を探る』祥伝社ノン・ポシェット
乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵 編『日本伝奇伝説大事典』角川書店

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■平家物語
1 平清盛の熊野詣
2 藤原成親の配流
3 成経・康頼・俊寛の配流
4 平重盛の熊野詣
5 以仁王の挙兵
6 文覚上人の荒行
7 清盛出生の秘密
8 忠度の最期
9 維盛の熊野参詣
10 維盛の入水
11 湛増、壇ノ浦へ
12 土佐房、斬られる
13 平六代の熊野詣
14 平忠房、斬られる

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