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◆ 嵐雪・朝叟『その浜ゆふ』


 松尾芭蕉の門弟、嵐雪(らんせつ。服部嵐雪。1654〜1707)と朝叟による『その浜ゆふ(其浜木綿)』。
 『その浜ゆふ』は、
宝永二年(1705)夏に嵐雪が朝叟・百里・甫盛・全阿らを伴なって伊勢・熊野に参詣した折の紀行文。熊野に関する箇所のみを抜き出して現代語訳してご紹介します。

 嵐雪一行は、伊勢参詣の後、新宮へ。新宮から那智を詣でて本宮へ。

 本宮。神楽殿は二十五年間四面で(?)毎年四月二十五日に猿楽(能楽の前身)がある。太夫は吉野の天の川(てんのかわ。奈良県吉野郡天川村)より来て、これをつとめる。舞台は落書に黒ずんで格別に素晴らしい。白河法皇がお建てになった石の塔がある。

 和泉式部の石塔が伏拝にある。本宮より一里(約4km)。かの式部が「月のさはり」と詠んだ所だという。

(ぶと)のさすその跡ながらなつかしき   雪中

是迄に暇とらせむ汗ぬぐひ   百里

 発心門は伏拝より一里。ここまで上古は本宮の境内であった。

苅ほしを今も敷なり御幸道   甫盛

 湯の峰は温泉が三坪ある。湯川より野中へ出る。
 野中の清水佐藤秀衡が接ぎ木した古木の桜がある。

住かねて道まで出るか山清水   雪中

 この後、一行は田辺に出て大阪へ。

 服部嵐雪は宝井其角(たからいきかく。1661〜1707)とならんで蕉門の双璧をなす蕉門十哲(芭蕉の弟子のなかでとくにすぐれた高弟10人のこと)のひとり。 文中、雪中とある句が嵐雪の句です。
 日本百銘水のひとつ「野中の清水」の傍らには、嵐雪の「住かねて道まで出るか山清水」の句碑が建っています。

 江戸時代には吉野の天川から猿楽の奉納に来ていたんですね。天川村にある天河弁財天社は猿楽(能楽)に縁が深い神社で、また「吉野熊野中宮」とも称されていました。
  いま、熊野にいて、それほど吉野とのつながりは感じませんが、江戸時代以前には吉野と熊野には強いつながりがあったのでしょう。

(てつ)

2005.9.18 UP

 ◆ 参考文献

『本宮町史 文化財篇・古代中世史料篇』

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