■ 熊野の歌

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◆ 松尾芭蕉の俳諧


 江戸時代前期の俳諧師、松尾芭蕉(まつおばしょう。1644〜1694)。

古池や蛙(かはづ)(とび)こむ水のをと

(しづか)さ岩にしみ入(いる)蝉の声

夏草や兵共(つはものども)がゆめの跡

 などの句が有名で、現在、芭蕉の句を刻んだ句碑が全国に数百と存在するという、伝説と化した誹諧師。

 出生地は伊賀上野(今の三重県伊賀市)。京に出て、北村季吟(きたむらきぎん)について俳諧を学んだ後、江戸に移って、宗匠となりました。芭蕉の一派を蕉門(しょうもん)といい、蕉門は、蕉風と呼ばれる芸術性の高い俳風を確立しました。

 芭蕉は、しばしば旅に出て、『野ざらし紀行』『笈の小文』『更級紀行』などの紀行文を残し、奥羽・北陸へは弟子の河合曾良を伴って大旅行をし、『おくのほそ道』を著わしました。

 『おくのほそ道』の冒頭に、

 月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也。船の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるもあり。予もいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、……

 とあるように、芭蕉が敬慕した古人たち(西行や宗祇や李白、杜甫)のように、旅に生きた芭蕉。
 その芭蕉の死もまた、敬慕した古人たちのように、旅の途中での客死でした。
 大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で残した辞世の句がまた素晴らしいです。

旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻る

 享年50。

・『ひさご』より1句。

熊野みたきと泣(なき)玉ひけり   (22)

(訳)熊野が見たいとお泣きになった。

弟子の曲水の「羅(うすもの)に日をいとはるゝ御かたち」を受けた芭蕉の句。
うすぎぬをかざして日ざしをおいといになるお姿。
その句から連想して、その旅姿の高貴な女性が「熊野が見たい」と泣く場面を芭蕉は思い浮かべて、この句を詠んだ。

 旅に生き、旅に死した芭蕉ですが、熊野を訪れることはなかったようです。
 その代わりといっては何ですが、門弟の服部嵐雪(はっとりらんせつ。1654〜1707)や
河合曾良が熊野を詣でています。

(てつ)

2005.7.24 UP

 ◆ 参考文献

日本古典文学大系『芭蕉句集』岩波書店
乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵 編『日本伝奇伝説大事典』角川書店

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