| ■ 熊野入門 | ||||||
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★ 熊野とは何? |
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本宮・新宮・那智の熊野三山が鎮座する熊野(くまの)。 紀伊国牟婁郡は明治になって、近畿最長の河川である熊野川を境に二つの県に分けられ、熊野川以西は現在の和歌山県に、熊野川以東は現在の三重県に属することになりました。 「熊野」という地名が何を意味していたのか、その語源ははっきりとはわかっていません。様々な説があります。 ・「クマ」は古語で「カミ」を意味し、「神のいます所」の意とする説 どの説を取るにしろ、熊野には開けた明るいイメージはありません。木々が鬱蒼と茂る、陽のあまり当たらない未開の地というイメージ。 実際、熊野三千六百峰といわれ、ほとんどが山林に覆われ、平地はほとんどなく、山からいきなり海になるような地形の所が多い熊野は、人が農耕をして暮らすには不便な場所でした。 熊野の地名が初めて登場する文献は『日本書紀』だと思いますが、『日本書紀』では、熊野はイザナミノミコトの葬られた土地として登場します。 大和地方の人々は熊野を死者の国(死後の世界)に近しい場所と考えていたようです。 熊野が広くその名を知られるようになるのは、院政期、上皇や女院による熊野御幸(くまのごこう)が行われるようになってからです。 武士の世となり、院政が衰え、熊野御幸は衰退していきましたが、熊野信仰は衰えませんでした。上皇たちは来なくなりましたが、今度は武士や庶民による熊野詣が盛んになります。 この熊野信仰の隆盛には、一遍上人(1239〜89)を開祖とする時衆(じしゅう。のちに時宗)という浄土教系の鎌倉新仏教の念仏聖たちの働きがありました。 このように浄土信仰の日本第一の大霊験所として栄えた熊野は、やがて神仏の権威の衰退や浄土信仰の衰退とともに衰えていったのでした。 (てつ) 2003.1.4 UP ◆ 参考文献
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