■ 熊野の観光名所 |
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◆ 阿須賀神社(あすかじんじゃ) 和歌山県新宮市阿須賀1-2-28 |
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熊野発祥の地、阿須賀神社
蓬莱山は、南北110m、東西90m、標高48mメートル。山というよりも独立した小丘陵で、北側は熊野川に面しています。 また山の形だけでなく、河口にあるということも重要な点で、阿須賀の「須賀」は、砂洲、砂丘、砂浜など、砂がたまるところを意味する古語の「すか」から来ているようです。
徐福とは、紀元前3世紀の中国、秦の時代の人物で、道教方士として始皇帝に仕えていました。 徐福が暮らした跡かどうかはもちろんわかりませんが、戦後の発掘調査により境内からは弥生時代の竪穴式住居趾や土器類などが出土し、伝説に多少の信憑性を与えているような気がします(出土品は境内の新宮市立歴史民俗資料館に展示されています)。
徐福の宮の隣にはやはり摂社の阿須賀稲荷神社があります。 もともと「みけつかみ」は、食物を司る神であったようです。「御饌津神」と書き、「御(=尊称)饌(=食物)津(=の)神」で食物の神を意味します。 辰狐王菩薩はまたの名を茶吉尼天(だきにてん)。
阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。古伝によると、 熊野大神は初め神倉山に降臨し、次に阿須賀の森に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴袮谷に遷ったが、結速玉の二神はそのまま阿須賀の森に留まった。第十代崇神天皇の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の音無の里(本宮)に遷り、結速玉は第十二代景行天皇の御代に今の新宮に遷座した。 とされ、阿須賀神社が本宮・新宮よりさらに古い歴史をもつことを主張しています。 長寛(ちょうかん)元年(1163)から二年にかけて公家・学者が朝廷に提出した熊野の神についての書類をまとめて『長寛勘文』と呼びますが、『長寛勘文』に記載され、最古の熊野縁起譚だと考えられている『熊野権現垂迹縁起』にも阿須賀神社の名が登場しますが、先に述べた古伝とは少々違っています。 昔、唐の天台山の王子信が、高さ三尺六寸の八角の水晶となって、九州の彦山(ひこさん)に降臨した。それから、四国の石槌山、淡路の諭鶴羽(ゆずるは)山と巡り、紀伊国牟婁郡の切部山、そして新宮神倉山を経て、新宮東の阿須賀社の北の石淵(やぶち)の谷に遷り、初めて結速玉家津御子と申した。その後、本宮大湯原イチイの木に三枚の月となって現れ、これを、熊野部千代定という猟師が発見して祀った。これが熊野坐神社の三所権現であると伝えられる。 この話では熊野大神は阿須賀の森には鎮座せず、阿須賀神社の北、熊野川の対岸の三重県南牟婁郡鵜殿村矢渕の谷(貴袮谷社(きねがたにしゃ))に鎮座したことになっています。 阿須賀神社の祭神は事解男之命(ことさかのおのみこと)と家都御子大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神の熊野三所大神。 6世紀に伝来された仏教は日本国内に普及していく過程のなかで、次第に神道との融和をはかるようになり、また、神道の側でも仏教との融和をはかるようになりました。 阿須賀神社の主なお祭りは神倉祭(2月6日)と神馬渡御式(10月15日)。どちらも他神社と合同で行われるお祭りです。 ◆ 参考文献
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(てつ) 2003.1.19 UP
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