■ 熊野の説話

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◆ 熊野の本地3 異常出産


 さてさて。

 后達はまた計画を練った。特に背の高い年寄りの女を999人集めて、九足八面の鬼の姿に扮装して、体を5色に塗り、めいめいに太鼓を持たせた。そして、毎晩毎晩、夜中ごろに女御のいる西の都に乱入させ、大声をあげながら太鼓を滅茶苦茶に叩かせた。大王はこれをお聞きになって、「何事か」と、たいへんお驚きになった。

 愛する男を取られた女が、男を奪った女に対して嫉妬し、憎悪をつのらせ、敵意をあらわにするということは、いつの時代にもあるのでしょう。そういった嫉妬心を「うわなり嫉み」と呼びました。「うわなり」とは後妻のことです。
 激しすぎる「うわなり妬み」は憎悪を生み、怨念を生みます。男を奪った女に嫌がらせをしたり、危害を加えたり、あるいは呪い殺そうとしたり、実際に殺してしまったり。
 そのような激しい「うわなり妬み」を恐れた人々は、「うわなり打ち」と呼ばれる儀式を作り上げました。中世から江戸期に盛んに行われた儀式です。

 「うわなり打ち」とは、前妻(あるいは第一夫人)が後妻(あるいはあとからやって来た夫人)に対して、その嫉妬の感情を表明する儀式です。
 まず、前妻が新しい妻に対して、いついつそちらの家に押しかけるということを予告します。そして、その当日、前妻は仲間とともに、さまざまに扮装・武装して、新しい妻の家に押しかけ、乱暴を働きます。適当な時間が経つと、仲裁が入り、それを機会に前妻方が引き上げていきます。
 「うわなり妬み」を儀式化し、演じさせることにより前妻の嫉妬心を軽減さようとしたのです。そうまでしなければならないほど、「うわなり妬み」は恐ろしいものだと信じられていました。
 今の時代でも、男を奪われた女が男を奪った女を殺してしまうというような事件はありますものね。女の嫉妬は恐ろしいものです。もちろん男の嫉妬も恐ろしいものですけれど。

 そこへ后達のほうから人をやって、声高に叫ばせた。「この王子の御誕生がお近づきになっているのを、鬼の眷属達が集まって、喜びのときの声をあげているのだ。王子の御誕生があと十数日かに近づいたら、都の内に大火事が起こるだろう」と、皆に聞こえるように言った。こんなふうに5夜も叫ばせた。

 后達は大王に向かって、「我が身を人の身には変えられないと申します。これはいかがしましょうか」と相談なさった。大王もほんとうに恐ろしくお思いになって、「どうしようにもどうにもならないことだ」といって、他の都へお移りになった。他の后達がめいめいに大王に申し上げた。「五衰殿の女御のことをどう処置しますか。世の中じゅうがとほうもなく乱れるだろうと人々も嘆いています」。大王はこれをお聞きになって、小声で、「それはどうなろうとも、どうしようもない」とおっしゃった。

 后達は喜んで、王の命令書を書いて、前後を顧みない武士6人を呼んでおっしゃられた。「五衰殿の女御を鬼谷山のほうは連れ出して、鬼時谷という谷にて首を斬るべし」と言って、命令書を書いてお渡しになった。

 6人の武士達はこれを承り、西の都へやってきて、藁靴を履いたまま、宮中へ乱入した。これらの様子は牢獄の役人のようである。后のかんざしに手を掛け、帳台の中から引きずり出し、広縁から引きずり落として、いろいろ乱暴な言葉を吐いた。

 后は「どんな罪をなしたというのですか。そのようなことは身に覚えはありません。昨日までは大王の御寵愛が他よりすぐれていたのに、今日は、また、このような目にあうおうとは。そのようなことがあるはずがありません。虚空から天魔が来て、こうするのでしょうか。助けて。助けて」と声をあげてお叫びになった。お仕えの女官や召し使いも、天を仰ぎ、地に伏して、大声で喚き叫ぶ。

 武士達が申すには、「罪科の重い軽いはどうして私どもにわかりましょう。王の命令のお使いでなければ、どうして参りましょう。お聞きください」といって、王の命令書を読みあげた。

 后は、「この上、どうしようもない」と、武士に従った。なんと邪見のないことだ。生まれてからこのかた、地面の上を歩いた覚えのない后に、何も履かせず、裸足で先に歩かせて、武士達は後ろから追い立てた。后は、お心も乱れて、歩むことができず、その場に倒れ伏してしまわれた。武士達は「遅い」と責めた。衆合地獄・叫喚地獄の苦しみもこれには及ぶまいと思われる。

 体から流れる血がたまって、紅を流すようである。頭に血が昇るので、流れる涙にも血が混じる。武士達は少しも思いやりをかけない。都からその山へふつうは7日で行けるが、責め立てて8日目の昼頃には到着させた。

 宿業はどうすることもできない。1日でも命があるとは思われないのに、命の別状はなくて、その山に辿り着いた。武士は「ここが最後の場所です。遺言がございましたら、仰っておいてください」と責めた。

 后は、何と考えるか、分別もつかない。「私の体はただの体ではなくて、いま、5ヶ月になります。子を生まずに死ぬと、「うぶめどり」というものになって、胎内の子を取るのが堪え難いと悲しまなければなりませんが(この部分、私には意味がわかりません。どなたか御教示を)、その悲しみを500回も生まれ変わる間、苦しまなければなりませんが、その苦しみは黒縄地獄の苦しみにも劣りません。汝ゆえに威光も増し、王のと思っていたのに、今世でも後世でも身を無駄にする悲しさよ。喜びの子ではなくて、悲しみの子です。孝行な子であるならば、月に満たなくとも生まれなさい。大慈大悲の観世音も憐れみを持って、願いを聞き入れて、子を生ませてください。この命はなくなってしまってもかまいません。極楽へお迎えください」とただ泣くだけである。

 うぶめどりは、日本古来からの「うぶめ」の伝承と中国の「姑獲鳥」の伝承が混じりあったものだということです。
 うぶめとは、子を産めずに死んだ産婦がその妄念のために変化したもので、子を抱いた姿で夜、現われるといいます。また、赤子の泣き声だけが聴こえるのもうぶめと呼ばれることもあるそうです。
 「姑獲鳥」は、やはり子を産めずに死んだ産婦が変化したもので、羽毛を身につけて鳥となり、羽毛を脱いで女人となるといいます。胸の前に二つの乳房があって、人の子を捕って養い、自分の子とするそうです。
 「うぶめ」と「姑獲鳥」の伝承が混じりあった「うぶめどり」。誰もこんな妖怪にはなりたくないです。子を産めるか産めないかで、極楽に行けるかうぶめどりになるか。えらい違いです。

 武士達が、「とやかく言っている場合ではない。時間も経つから、速く斬り申し上げましょう」という。武士のなかの一人、禁斉という者は言った。「后の願いは、現世来世の仏達、憐れんで願いを聞き入れて、子を生ませてください、ということだ。しばらく待とう」と。ここで、土佐符という者が、剣を抜いて、「時間も経つから斬ろう」とそばへ寄った。后はこれを御覧になって、「しばらく待って」と叫んだ。禁香という者は、これを聞いて、「しばらく待て」と言った。

 そうするうちに、后は『千手経』をお読みなさって後、お産の気配が見えてきた。2時間ばかりして、お生まれなさった。5ヶ月になられたばかりだけれども、五体満足、明るい玉のような王子でいらっしゃった。「産湯も浴びせずに殺してしまうのは、罪が深いですよ」とおっしゃったので、土佐符という者が哀れんで、谷から水を汲み、それを后は口で温めて、産湯を浴びせた。いたわしいことに思ってそうなさったのである。ただいま別れようとしている親子であるけれども、子を愛しいと思うのは、人の母の習いである。

 武士達もさすがに生身の人間なので、各々哀れに思った。后は、王子の口に乳を含ませ、懐に抱いて、西に向かって手のひらを合わせ、「思い残すことはもうありません。早く早く」とおっしゃられた。王子のお顔を見ると、ただ武士も涙を流すばかりである。よいにつけ悪しきにつけ、つい王子のお姿が目に入る。

 けれども、土佐符という者は剣を抜いて、后の後ろのほうに立ち寄ると、后のお首は前に落ちて、死体は王子を抱きながら転がり倒れた。そうして後、武士達は引き返した。武士達がことの次第を申し上げたところ、残りの后達は大喜びした。

 まったく「うわなり妬み」は恐ろしいものです。何の罪もない人を殺させておいて、大喜びとは。

 王子は空しい母の乳房に食らいついて、何事を知ることができようか。これを聞いた人々は、親でも子でもないけれども、袖を絞らぬ人はなかった。

 首を斬られた母の乳房に吸いつく赤子という異常な光景。
 この物語はまだまだ続きます。

(てつ)

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 ◆ 参考文献

西尾光一・貴志正造 編 鑑賞日本古典文学第23巻『中世説話集 古今著聞集・発心集・神道集』角川書店
小松和彦『憑霊信仰論―妖怪研究への試み』ありな書房、講談社学術文庫

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■熊野の本地
1 熊野十二所権現
2 五衰殿の女御
3 異常出産
4 捨て子
5 八咫烏の導き
6 熊野牛王宝印

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