み熊野ねっと

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熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)

 

もっとも神聖視された護符

熊野牛王

 牛王宝印とは、神社や寺院が発行するお札、厄除けの護符のことです。牛王神符ということもあります。
 牛王(ごおう。牛玉とも書きます)という不思議な名は、牛黄(ごおう。牛の胆嚢ににできる結石で、貴重な霊薬として用いられます)を印色としてお札の朱印に用いていたことに由来するとの説があります。
 牛王宝印は、厄除けのお札としてだけでなく、裏面に誓約文を書いて誓約の相手に渡す誓紙としても使われてきました。牛王宝印によって誓約するということは、神にかけて誓うということであり、もしその誓いを破るようなことがあれば、たちまち神罰を被るとされていました。

 その牛王宝印を熊野ではカラス文字を使ってデザインしています。カラス文字といわれても、想像もつかないと思いますが、ひとつひとつの文字が数羽のカラス(と宝珠)で表されているのです。そのため、熊野の牛王宝印は俗に「おカラスさん」とも呼ばれます。

熊野牛王 熊野の牛王宝印は、三山それぞれ、デザインが若干異なりますが、1枚の紙に5つの文字がカラス文字と宝珠で図案化されて記されています。
 本宮新宮の牛王宝印には「熊野山宝印」、那智の牛王宝印には「那智瀧宝印」と記されています。
 時代によってカラスの数は増減していますが、現在の牛王では、本宮は88羽、新宮は48羽、那智は72羽のカラス文字で五つの文字が表わされています(右の写真は本宮の牛王宝印)。

 様々な寺社から発行されていた牛王のなかで最も神聖視されていたのが、熊野の牛王でした。とくに武将の盟約には必ずといっていいほど、熊野牛王が使われたそうです。『吾妻鏡』には、源義経が兄・頼朝に自らの誠実を示すための誓約文を熊野牛王に書いたことが記されています。

 熊野の神への誓約を破ると、熊野の神のお使いであるカラスが三羽亡くなり、誓約を破った本人は血を吐いて地獄に堕ちるとされていました。
 また、熊野牛王を焼いて灰にして水で飲むという誓約の仕方もありました。熊野牛王を焼くと熊野の社にいるカラスが焼いた数だけ死ぬといわれ、その罰が、誓約を破ったその人に当たって即座に血を吐くと信じられ、血を吐くのが恐くて、牛王を飲ますぞといわれると、心にやましいものがある者はたいがい飲む以前に自白をしたそうです。

 中世の京方面からの熊野詣は、熊野三山巡拝ののち、再び本宮を訪れ、本宮より下向するのですが、その折、道者は、本宮の油戸門(熊野本宮回廊十二門のひとつ)にて先達(せんだつ。熊野詣の案内人。山伏が務めました)より熊野牛王法印と梛の葉をいただいてから、帰途の旅に出立しました。

 また戦国時代のころからは、熊野信仰を全国の人々に広めるために、熊野尼比丘が熊野牛玉を配って全国を巡り歩きました。

 江戸時代になると、遊女と客が取り交わす誓紙にまで熊野牛王が使われ、「誓紙書くたび三羽づつ熊野で烏が死んだげな」と小唄に歌われました。「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という粋な都々逸もあります。この都々逸、幕末の志士・高杉晋作の作と伝えられています。

 熊野牛王は誓約に用いられた他、家の中や玄関に貼れば、盗難除けや厄除け、家内安全のお札としても用いられました。『閑窓瑣談』には、こんな霊験譚が載せられているそうです。

 亨保のころ、武蔵の国のある村の百姓の家で、2才の女の子が夜な夜な光り物の怪物に襲われ、それを家の奥からまた別の光の玉が現れて撃退し、女の子を守るということがあった。
 この怪異に家の中を祓い清めることにしたが、その後、女の子は怪物に奪い取られてしまった。怪物は裏山に棲む狒々(ひひ)だとわかったが、さて、女の子を守ってくれていたものは何だったのかと、探してみると、家の中を掃除したときに捨てた、壁に貼られていた一枚の煤けた紙片だった。それはよくよく見ると、熊野午王のお札であったのだ。

 熊野においでの際はぜひ熊野牛王宝印をお土産にどうぞ。

熊野牛王 熊野牛王

 左が新宮(熊野速玉大社)の熊野牛王、右が那智(熊野那智大社)の熊野牛王です。

(てつ)

2008.3.21 UP
2016.3.29 更新

◆ 参考文献

 

 

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