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◆ 相賀八幡神社(おうがはちまんじんじゃ)  和歌山県新宮市相賀186 相賀村:紀伊続風土記(現代語訳)


岩壁がご神体?

高倉神社(相賀)

 国道168号線から高田川に沿って走る県道230号線に入り、5分ほど車を進めます。
 「相賀」バス停近くに車を止め、高田川にかかる橋を渡り、桑ノ木の滝への遊歩道を2分ほど歩いていくと、途中に八幡神社があります。

 2011年の紀伊半島豪雨災害で大きな被害を受け、その後、再建がなされました。
 社務所がなくなり、本殿が小さくなった現在の相賀八幡神社のたたずまいからは、原初の信仰の形に帰ったかのような印象を受けました。

高倉神社(相賀)

 石垣の下から見ると、まさに岩壁がご神体のように見えます。かつては岩壁がご神体の磐座信仰の場であったのだろうと想像させます。

 和歌山県神社庁のページよると、由緒は以下の通り。

当社の社伝によると、「当社は大職冠内大臣鎌足公後胤、信州上田の領主信濃守藤原光共長子上田太郎助が王子(今の裏の平)へ居住した折、和田、高目、田中の三氏も当地に居住す、四氏申合せで、字番峪へ勧請す、是則ち人皇四十代の時と古老の口伝なり」とある。
天明8(1788)年に至りて現在の地に遷座し、明治6年4月村社に列す。

高倉神社(相賀)

 対岸から。

 古い街灯がありますが、かつてはこの道が新宮市高田から三輪崎に通じる街道でした。この街道について熊野今昔物語というホームページに面白い記事があったので、引用してご紹介いたします。

 新宮市高田から三輪崎に通じる街道を木ノ川街道と呼ぶが、この街道の別名を狼街道という。本来は塩を運ぶ道であるが、塩を運ぶ商人が狼に襲撃されるので、狼からの避難小屋を設けたのが街道名の由来である。
 日本狼は人を襲撃することは稀で、山神様の使いとして崇められていた。「大神様」と呼んで、信仰の対象にされていたくらいである。しかし、人間同様塩がなければ生存できない体質であった。したがって、塩分補給を頻繁にしなければならず、塩商人を襲ったり、人家の台所を荒らしたりしたため害獣扱いされる場合もあった。江戸時代に、三輪崎の海岸へ潮水を飲みに出没したとの目撃談が残っている。(「日本狼と紀州犬 – 熊野今昔物語」より)

高倉神社(相賀)

 対岸には石段があり、もう1つ別の神社が。

 『紀伊続風土記』の相賀村の記事には神社についての記載がなく、神社のない村なんて普通ないだろうと思うのですが、なぜか記載がありません。お寺については「小堂一宇」とだけ記されています。

 ◆ 参考文献・参考サイト

『紀伊続風土記』臨川書店

八幡神社 - 和歌山県神社庁
日本狼と紀州犬 – 熊野今昔物語

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2014.4.25 UP

 

 


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