日本初の黒船の寄港地
くしもと大橋を渡り、串本沖約1.8kmに浮かぶ大島(紀伊大島)へ。日米修交記念館の横の駐車場に車を停め、左に(右に行くと海金剛)。トイレの左横に遊歩道の入口があります。
海岸性の照葉樹林に覆われた遊歩道を下っていくと、木々の隙間から左手に雷公の浜や雷公神社の鳥居が見えます。いったん車道に出て少し行くと、左手に鳥居。これが一の鳥居。日米修交記念館の駐車場から一の鳥居までかかった時間は5分くらいだったでしょうか。もう少し行くと、雷公神社の二の鳥居や石段、手水鉢があり、そして雷公の浜があります。

日本初の黒船の寄港地、雷公の浜。ここには小川が流れ、水の補給もできました。寄港したのはアメリカの商船、レディ・ワシントン号とグレイス号。1853年のペリー来航から60余年前の1791年のことでした。樫野浦の住民とラッコなどの毛皮を交易しようとしましたが、毛皮の使用法を知らなかった住民とは交易が成立しませんでした。


普段、山の中にいるせいか、こういう光景を目にすると感動します。海金剛もすばらしいですが、こちらもすばらしいです。

「日米修交記念館 - Wikipedia」によると、
日本の教科書等で日本とアメリカ合衆国の交流の最初は1853年のペリー提督が浦賀に黒船4隻でやってきたときとされているが、アメリカ合衆国においてはアメリカ人として日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年のケンドリック氏で寄港地は串本町の紀伊大島となっている。彼が乗ったプライバティア(国代表としての資格)を有する商船「レディ・ワシントン号」の船名とともに大多数の歴史書にその名は刻まれている。アメリカ合衆国ではこれを重要な史実としてとらえられており、ワシントン州アバディーン市ではレディ・ワシントン号の再建造が行われ、ウエアハムにあるケンドリック氏の旧宅が「ケンドリック記念館」として保存・公開されている。
ケンドリック氏とレディワシントン号・グレイス号は最初の計画から交易という明確な目的をもって紀伊大島に寄航し、住民に警戒心を与えないために「漂着」と装ったことや毛皮の貿易を申し込んだことが書簡や公文書(「マサチューセッツ海事史」ほか)などから明らかになっている。アメリカ合衆国ではこの事実を認識した歴史になっているが、日本では「漂着」として文部省の教科書には載せていない。
とのこと。
◆ 参考サイト
「日米修交記念館 - Wikipedia」
(てつ)
2007.3.21 UP
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