玉の浦については諸説がありますが、那智勝浦町粉白から浦神にかけての入り江を玉の浦と呼びます。
・『万葉集』から2首
1.作者不詳、「旅(たび)にして作る歌九十首」のうちの1首。
荒磯(ありそ)ゆもまして思へや 玉の浦の離れ小島(こしま)の夢(いめ)にし見ゆ
(巻第七 雑歌 1202)
荒磯よりもいっそう心惹かれたからか、玉の浦の離れ小島を夢にまで見えることだ。
2.柿本人麻呂歌集(作者は不詳。柿本人麻呂歌集から採られた歌が人麻呂本人の作かどうか、はっきりしない)より。「紀伊国にして作る歌二首」のうちの1首。
わが恋ふる妹(いも)は会はさず 玉の浦に衣(ころも)片敷き ひとりかも寝む
(巻第九 雑歌 1692)
私が恋しく思うあなたは会ってくださらない。玉の浦に着物を敷いて一人寝することであろうか。
「衣片敷く」とは、二人でそれぞれの衣を敷いて二人で寝るというのではなく、自分の衣だけを敷いて一人で寝るということ。一人寝の侘しさを表現している。
・『文応三百首』:宗尊親王(むねたかしんのう。初の皇族将軍。1242〜1274)の家集から1首
ふなでして今こそ見つれ 玉の浦の離れ小島の秋の夜(よ)の月
(秋七十首 142)
船を出して今こそ見たことだ。玉の浦の離れ小島に照る秋の夜の月を。
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以下の歌は、新宮市出身の文学者・佐藤春夫の随筆「熊野路」からの孫引きです(『定本 佐藤春夫全集 第21巻 評論・随筆3』臨川書店。171頁)。現代語訳は私がしています(訳し方がわからなかった歌については訳文はなし。どなたかご教授いただけると嬉しいです)。
汐風やとほよる千鳥玉の浦のはなれ小嶋に友さそふなり
権僧正公朝
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玉の浦名に立つものは秋の夜の月にみがける光なりけり
為家卿
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霞にもはなれ小嶋にあらはれてまたうつもるる沖つ遠山
正轍
沖遠くに見える山が離れ小島に現われてはまた霞に埋もれることだ。
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小夜ふけて月かげ寒み玉の浦のはなれ小嶋に千鳥なくなり
平忠度
夜が更けて月明かりが寒いので、玉の浦の離れ小島で千鳥が鳴くのだなあ。
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船出して今こそ見つれ玉の浦のはなれ小嶋の秋の夜の月
忠家
船を出して今こそ見たことだ。玉の浦の離れ小島に照る秋の夜の月を。
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ぬれて干す沖の鴎の毛衣にまたうつかへる玉の浦浪
伝西行法師
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ながめやる海のはてなる山ぞなきうかべる雲のはなれ小嶋に
柏玉集 後柏原院
眺めやる海の果てにある山がない。船を出して今こそ見たことだ。玉の浦の離れ小島に照る秋の夜の月を。
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古里をはなれ小嶋による浪よ立ちかへるべきしるべともなれ
千首 羇中旅 耕雲
古里を離れ、離れ小島に打ち寄せる波よ。帰るときの道しるべとなっておくれ。
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上の8首、佐藤春夫の随筆「熊野路」より孫引きです。
(てつ)
2003.5.30 UP
2004.3.25 更新
◆ 参考文献
桜井満訳注『万葉集(中)』 旺文社文庫
新日本古典文学大系47『中世和歌集 室町篇』 岩波書店
『定本 佐藤春夫全集 第21巻 評論・随筆3』 臨川書店
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