■ 熊野の歌

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◆ 宗尊親王


 宗尊親王(むねたかしんのう、1242〜1274)。
 
後嵯峨天皇の第2皇子。建長4年(1252)、11歳で鎌倉幕府に迎えられて鎌倉に下り、第6代将軍となりました。初めての皇族将軍であり、以後、15年間、将軍職にありましたが、文永三年(1266)、謀反を企てたとの嫌疑をかけられて将軍職を追われ、帰京。文永9年(1272)、父法皇の死を機に出家。そのおよそ2年半後の文永十一年(1274)、33歳の若さで没しました。

 家集に『文応三百首(中務卿親王三百首和歌)』『柳葉和歌集』『瓊玉(けいぎょく)和歌集』『中書王御詠』『竹風和歌抄』があります。『続古今集』以下勅撰集に190首入集。『続古今集』では最多入集歌人。

・『文応三百首』より2首。 

1.和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の丹敷浦(錦浦、にしきうら)が登場する歌。

こきまずる柳桜もなかりけり 錦の浦の春のあけぼの

(春七十首 28)

まぜあわせる柳桜もないことだ。錦の浦の春の夜明け方は。
「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(古今集・春上・素性)を本歌とする。

 錦の浦については諸説がありますが、那智湾のことを丹敷浦と呼びます。かつて観音の信者が補陀落浄土への船出を行った海です。現在は、夏場は海水浴場として利用されています。

2.和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の玉の浦(たまのうら)が登場する歌。

ふなでして今こそ見つれ 玉の浦の離れ小島の秋の夜(よ)の月

(秋七十首 142)

船を出して今こそ見たことだ。玉の浦の離れ小島に照る秋の夜の月を。

 玉の浦については諸説がありますが、那智勝浦町粉白から浦神にかけての入海を玉の浦と呼びます。現在は夏場は海水浴場として利用されています。

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(てつ)

2003.5.20 UP

 ◆ 参考文献

新日本古典文学大系47『中世和歌集 室町篇』岩波書店

 

 

■登場する熊野の地名
錦の浦…1ケ所
玉の浦…1ケ所

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