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◆ 熊野懐紙5:年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「行路氷、暮炭竈」


 24年の在院期間のうちに28回もの熊野御幸を行った後鳥羽上皇
 その熊野御幸の特色として、道中、宿所となる王子社などで神仏を楽しませるために和歌の会が度々催されたことが挙げられます。

 その和歌会に参加した人々が自分の詠んだ歌を書いて差し出した自詠自筆の和歌懐紙を熊野懐紙(くまのかいし)といいます。

 現存する熊野懐紙とその歌の数は35枚、70首。和歌会の催された年月日、場所、歌題によって7つに分類することができます(2004年11月現在。将来新たな熊野懐紙が発見されることもあり得ます)。

1.正治2年(1200)12月3日 切目王子 「遠山落葉、海辺晩望」…11枚22首
2.
正治2年(1200)12月6日 滝尻王子 「山河水鳥、旅宿埋火」…11枚22首
3.
年月日未詳(正治2年と推定) 藤代王子 「山路眺望、暮里神楽」…3枚6首
4.年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「古谿冬朝、寒夜待春」…2枚4首
5.年月日未詳(正治2年と推定) 場所未詳 「行路氷、暮炭竈」…4枚8首
6.建仁元年(1201)10月9日 藤代王子 「深山紅葉、海辺冬月」…3枚6首
7.建仁元年(1201)10月14日 近露王子 「峯月照松、浜月似雪」…1枚2首

 ここでは5の<正治2年(推定) 場所未詳 「行路氷、暮炭竈」>の4枚の懐紙に書かれた歌8首をご紹介します。
 口語訳は語注も何もない状態から私が古語辞典だけを手がかりに訳しましたので、かなり怪しい箇所もあり、わからない箇所も多々あります。何かお気づきの点などございましたら、ご教示ください。
 なお濁点は私の判断で付けています。やはりおかしい箇所がございましたら、ご教示ください。

1.後鳥羽上皇(1180〜1239)の歌。

  詠二首和謌

行路氷

あさゆけばひかりまつまのこほりゆゑ たえぬにたゆるやまかはの水

朝行くと、光が当たるのを待っている氷のために、山の川の水が止まったり流れたりしていることだ。

暮炭竈

冬くればさびしさとしもなけれども けぶりをたゝぬをのゝゆふぐれ

冬が来ると、寂しさとしもないけれども(?)、煙を立てない「おの」の夕暮れ。

2.藤原雅経(まさつね。1170〜1221)の歌。

詠行路氷和哥/侍従藤原雅経

ふゆされやしけきのさはのあさこほり こまうちわたすおとのさむけさ

??? 沢の朝の氷、馬を渡すときの音が寒そうなことだ。

暮炭竈

くれぬるか やくすみがまのみねのそら けぶりをくもとわきやらぬまで

暮れたのか。炭を焼く炭窯がある峰の空が煙と雲とを見分けできなくなるまで。

3.藤原家隆(いえたか。1158〜1237)の歌。

  詠二首和歌/上総介藤原家隆

行路水

ゆくこまのあとにもうとくなりにけり こほりになづむやまかはのみづ

行く馬のあとにも疎くなってしまった(?)。氷に行き悩む山の川の水。

夕炭竈

やとからむしるべともなきすみがまのけぶりもつらし みねのゆふぐれ

やとからむ(?)道標もない炭窯の煙もつらい。峰の夕暮れ。

4.寂蓮(1143?〜1202)の歌。

  詠二首和歌/沙弥寂蓮上

行路水

たび人のあさゆくさわのうすこほり むすびかへけるあとぞしらるゝ

旅人が朝行く沢の薄氷がむすびかえった(?)あとが知られる。

暮炭竈

みねとほくたちすさみたるけぶりかな いゑぢやおもふまきのすみやき

峰遠くに立ち荒んでいる(?)煙であることだ。まき(?)の炭焼きが家路を思うのか。

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

(てつ)

2004.12.6 UP

 ◆ 参考文献

本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世資料編』本宮町
本宮町史編さん委員会『本宮町史 通史編』本宮町
大阪市立美術館編集『
「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録記念 特別展「祈りの道〜吉野・熊野・高野の名宝〜」』毎日新聞社・NHK

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■歌の作者
後鳥羽院…2首
・藤原雅経…2首
・藤原家隆…2首
・寂蓮…2首

■熊野懐紙
1.遠山落葉、海辺晩望
2.山河水鳥、旅宿埋火
3.山路眺望、暮里神楽
4.古谿冬朝、寒夜待春
5.行路氷、暮炭竈
6.深山紅葉、海辺冬月
7.峯月照松、浜月似雪

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