■ 熊野の観光名所 |
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◆ 八上神社(八上王子跡)(やがみじんじゃ<やがみおうじあと>) 和歌山県西牟婁郡上富田町岡1382 岡村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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西行が歌を詠んだことでも知られる王子跡
建仁元年(1201)の後鳥羽上皇の熊野御幸にお供した藤原定家の日記『後鳥羽院熊野御幸記』の十月十三日の条には「次ミス(三栖)山王子、次ヤカミ王子、次稲葉根王子」と八上王子の名があり、それより92年前の天仁2年(1109)に熊野を詣でた藤原宗忠(むねただ)という貴族の日記『中右記(ちゅうゆうき)』の十月二十日の条には「田辺の王子に奉幣後、萩生山口で昼食をとり、山を越えて新王子社に奉幣した」というようなことが記されており、この新王子社が八上王子であることは地理的に見て確実と思われることから、八上王子が天仁2年(1109)ころに設けられた王子であることが推察されます。
(『山家集』上 春 98)
三栖山を越え八上王子を経て石田川(いわたがわ)に出るルートは江戸時代には潮見峠越えという別ルートに取って代わられ、八上王子はかつてのにぎわいを失いましたが、それでも土地の人々に産土社として尊崇され、明治時代に神仏分離して神社となりました(神仏分離するまでは八上王子の社殿には御神体として1丈8分の十一面観音が祀られていました)。 熊野に神社合祀の嵐が吹き荒れたときには、神社合祀に反対した田辺在住の世界的博物学者・南方熊楠(みなかたくまぐす。1867〜1941)による働きかけもあり、合祀滅却されずに済みました。 南方熊楠の『南方二書』には以下のように八上王子について以下のように書かれています。
熊楠は、田辺湾に浮かぶ神島に昭和天皇を迎えて進講した記念に歌碑を神島に建てましたが、八上王子で西行が詠んだ歌を手本にして、その歌碑に刻む歌を作ったそうです。その熊楠の歌は、
八上神社の社叢(左の写真)は町指定の天然記念物。 八上神社から800mくらい下手にある摂社の田中神社は大正4年(1915)に八上神社に合祀されましたが、熊楠の「合祀されても神林だけは残しておけ」との助言に従い、神社林を残していたため、後に復社を果たすことができました。 ◆ 参考文献・参考サイト
(てつ) 2003.5.18 UP
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