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熊野謎解きめぐり 大地がつくりだした聖地
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河内神社(河内島)(こうちじんじゃ・こうちじま)

和歌山県東牟婁郡古座川町宇津木 宇津木村:紀伊続風土記(現代語訳)

島がご神体、古座川の神霊が宿る社殿のない神社

河内島

 河内神社は古座川河口から3kmほど遡ったところにある河内島を御神体とする神社。
 河内島は河内さまとも呼ばれます。まさに河の内にある神社で、古座川の神霊の宿るところとされます。

 河内島は清暑島(せいしょとう)ともいわれますが、それは幕末に津藩の儒学者、斉藤拙堂が私的に付けた名です。

 古座川左岸に鳥居があり、また別の所に遥拝所があります。

河内島

 この鳥居について@kozakaidoさんからの情報。

これは流した木材をせき止める網場を河内島につくったので神霊を鎮めるために木材組合が近代に設置したもので遥拝所ではありません。本来の遥拝所はもうすこし上流にあり、そこは鳥居はありません。

河内島
河内神社の宇津木の遥拝所/ kozakaido

 遥拝所についても@kozakaidoさんからの情報(上の写真も)。

河内神社の宇津木の遥拝所。大正時代に奉納された石灯籠と石段、御幣をたてる簡素な祭壇だけがあり鳥居はない。矢倉神社と同じ形式の古代社だ。イヌマキ、スギ、クスノキが巨木になって、ご神体の河内島が見えにくい。

河内島遥拝所
遥拝所

 『紀伊続風土記』の宇津木村の条には以下のように記されています(現代語訳てつ)。

河内明神

村の巳の方(※南南東)、古座川の中にある。高さ15間ばかり、周50間ばかりの岩山の小島である。これを神として祀り、高川原村古田村・宇津木村・月野瀬村の4ヶ村の氏神とする。古から土地の人はこの島に登ったことがなく、島中の草木にかりそめにも手を触れることもない。岸頭の岩、高さ30間、横の山足50間ばかりを境内とする。

祭礼は毎年六月初丑日。氏子のことごとくが古田村の川原から拝む。祭式は前夜に古座川より鯨舟三艘に屋形を作り、装いに美を尽くして登り、舟歌を歌い、河内明神の島を廻り、夜明けて当日の昼頃に川を下るという。その他、種々の俳優などがある。遠近の諸客が集い来て、はなはだ賑やかである。日置浦から新宮までの間にこの祭りに次ぐ祭りはない。これを古座の河内祭という。

宇津木村:紀伊続風土記 現代語訳

河内島
古座川右岸から

 河内神社のような、島や滝や岩や木や森を御神体とするような無社殿神社は明治時代には原始的な未開な信仰と見なされて、その多くが潰されました。あるいは神社として残すために社殿を建てなければなりませんでした。そのような近代の歴史を経てなお、河内島は御神体であり、現在も社殿を持たず存続しているのは素晴らしいことです。

 現在では『紀伊続風土記』にあるほど厳格に上陸が禁じられているわけではなく、夏には子どもたちが島に登って川に飛びこんだりしていますが、今もなお河内島そのものが神社とされています。「日置浦から新宮までの間にこの祭りに次ぐ祭りはない」とされたで河内祭(こうちまつり)も続けられていて、「河内祭の御舟行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されているのも誇らしいことです。

河内祭
河内祭 宵宮

 古座川を度々訪れた作家、司馬遼太郎氏は、河内島(河内神社)について次のように書かれています。

 崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。この熊野の河内神社もそうであった。
  崖っぷちの槙の樹のあいだから川をのぞいてみると、なるほど川が岐(わか)れて、形態として河内を為している。瀞(とろ)の青みはまことに碧潭というにふさわしく、その青い流れに洗われて河中に一個の岩礁が盛りあがっている。
 その岩礁が、どうやら神の憑代(よりしろ)になっているらしい。古代シャーマニズムが、古代形態のまま息づいているというのは、日本でもめずらしいといえるのではないか。

 文献によると、憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。
 本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。

(司馬遼太郎『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』朝日文芸文庫、96頁より引用)

国の重要無形民俗文化財、河内祭

河内祭
河内祭 宵宮

 河内祭は古座川河口にある古座神社に祀られる河内神社の分霊を御舟に乗せて、元々の御神体である河内島まで里帰りさせるお祭りです。 江戸時代には六月初丑日に執り行われましたが、現在は毎年7月第4土曜日・日曜日に執り行われます。

 河内神社の分霊を運ぶ御舟は鯨舟をきらびやかに飾ったものを用います。古座は江戸時代には沿岸捕鯨が盛んな地域でしたが、鯨舟を用いる河内祭の御舟は、捕鯨が地域の重要な産業であった時代の名残とも言えるでしょう。平成28年(2016年)には河内祭の御舟行事を構成文化材のひとつとする「鯨とともに生きる」が日本遺産に認定されましたが、その認定には鯨舟が用いられる河内祭の御舟行事が大きく貢献したものと思われます。

河内祭
(そま撮影)

 河内祭は河内島を中心に行われます。
 幟などを立てて飾った三艘の御船が古座川河口から遡上し、河内島を巡ります。櫂伝馬(かいでんま)競漕も島を巡って行われます。

 源平合戦に源氏方として参戦した熊野水軍が凱旋して戦勝を河内神社で祝ったときの様子を再現するものとの説がありますが、この説について@kozakaidoさんからの情報。

河内祭が熊野水軍の凱旋or慰霊祭が起源という説は昭和初期に地元郷土史家が提唱したもので、それまでそういう伝承はなかったことが判明しております。

 河内祭の起源を語る物語として古座川河口近くでの鯛と蛇の恋物語があります。

河内祭スケジュール

【7月第4土曜日】宵宮
午後2時:古座川河口で入舟式があり、その後に水上渡御
午後6時:古座川河口付近で地元小中学生の櫂伝馬競漕
午後7時:河内島で神霊を迎える夜籠神事

【7月第4日曜日】本祭
午前7時30分:当舟などが古座川河口から出航する「当舟渡御」
午前10時:河内島前の河原で「御祭礼」
午前10時30分:同河原で獅子舞を奉納
  (古座の古座青年会、古田の古田獅子保存会、高池下部の互盟社)
午後1時:河内島を御舟が1周する「花回り」
午後1時30分:河内島で櫂伝馬競漕

古座川

古座川

 大塔山系に源を発し、古座川町、古座町を流れ、熊野灘に注ぎこむ古座川。延長60余km。日本屈指の清流です。
 その古座川の流域には奇岩奇峰が多く、虫喰岩牡丹岩飯盛岩一枚岩天柱岩など、自然の造型の不思議に驚かされる奇勝に巡り会うことができます。

 古座川は明治初期までは「祓川(はらいがわ)」と呼ばれていました。

(てつ)

2003.6.4 UP
2007.7.6 更新
2011.1.8 更新
2011.1.20 更新
2011.7.25 更新
2014.5.2 更新
2020.3.20 更新
2021.4.25 更新

参考文献

河内神社(河内島)へ

アクセス:JR古座駅から車で約5分
駐車場:古座川右岸に駐車場あり