高野山と熊野を結ぶ道
熊野古道「小辺路(こへち)」は、和歌山県にある二大霊場、高野山と熊野を結ぶ道です。
高野山から熊野本宮までを踏破する場合は、高野山での前日泊、大股泊、三浦口泊、十津川温泉泊、本宮泊の5泊が必要となると思います。
◎1日目=高野山から大股(約16.8km;約4時間45分)
◎2日目=大股から三浦口(約16.7km;約6時間)…伯母子峠(おばことうげ:標高1220m)越え
◎3日目=三浦口から十津川温泉(約21km;約5時間30分)三浦峠(標高1070m)越え
◎4日目=十津川温泉から熊野本宮(約16.7km;約5時間)…果無峠(標高1114m)越え
なおコースタイムなどに記した所要時間には休憩時間・見学時間・参拝時間などは含んでおりませんので、その点はご注意ください。
小辺路について
熊野古道「小辺路」は、和歌山県にある二大霊場、高野山と熊野を結ぶ道です。標高1000m級の峰々を越える険しい道ですが、大阪方面から熊野を詣でる場合、最短ルートとなります。
高野山から熊野本宮までの距離はおよそ約70km。高野山を出発して3泊で熊野本宮にたどり着くことができますが、伯母子峠(おばことうげ:標高1220m)・三浦峠(標高1070m)・果無峠(標高1114m)という3つの1000m級の峠を越えなければならないので、本格的な登山の準備が必要です(冬季には雪山登山の準備が必要)。
「小辺路」ルートによる熊野参詣を記録した最古の文献は、16世紀の『清良記(せいりょうき)』。『清良記』は、伊予国の武将・土居清良(どい せいりょう、どい きよよし)の一代記で、その巻十七に、天正元年(1573年)に父の菩提を弔うために高野山を経て熊野三山に参詣したことが記されていて、それが「小辺路」ルートとなっています。
土居清良は、高野山参詣の後、大滝・大股を経て、五百瀬(いもぜ)の神納川(じんのがわ)では多量の弓を購入し、矢倉に一泊。翌日、柳本の渡しから果無峠を越えて、八木尾(やきお)に下り、本宮に参詣。1泊2日で小辺路を踏破しています。
土居清良はそれから小雲取越・大雲取越で那智に参詣し、浜の宮を経て新宮に参詣した後、先祖の旧里である木本(きのもと)の土居を訪ね、伊勢に向かっています。
道自体は以前から住民の生活道としてあったものと思われますが、熊野への参詣道「小辺路」として利用されるのは、近世になってからのようです。
小辺路の呼称が見える最古の文献
「小辺路」の呼称が見える最古の文献は、寛永5年(1628年)に成立した笑話集『醒睡笑(せいすいしょう)』で、巻一の「謂へば謂はるる物の由来」に次のような小話が収められています
「へちまの皮とも思わぬ」とは、紀の国の山中に、大辺路・小辺路といって、峰が高く岸のけわしい、つづら折の伝い道で、人馬の往来がたやすくない難所がある。そのあたりで使う馬は、糠にしろ藁にしろ、大豆などは申すまでもなく不足がちなので、実に骨ばかりの様子である。そんなわけで、そこの馬は、皮を剥いでも、鞍で擦れた傷跡、できものの跡疵ばかりで、何の役にも立たない。だから、何の役にも立たない物を、へち馬の皮とも思はぬことというのだろう。
大辺路・小辺路の馬→へち馬、ですね。「へちまの皮」と「辺路馬の皮」をかけています。
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道しるべがあるので、道に迷うことはないと思いますが、地図を携帯されることをお忘れなく。
(てつ)
2008.12.1 UP
2010.12.15 更新
2020.3.15 更新
参考文献
- 観光案内所などに置かれている熊野古道のガイドマップ
- 宇江敏勝監修『熊野古道を歩く (歩く旅シリーズ)』山と渓谷社
- 小山靖憲『熊野古道』岩波新書
- 『熊野古道公式完全ガイド―紀州和歌山県版』扶桑社ムック
高野山へ
アクセス
・大阪方面からのアクセス:難波駅から南海電鉄で高野山駅へ(特急で1時間40分、急行で約2時間)。
・名古屋方面からのアクセス:難波駅から南海電鉄で高野山駅へ(特急で1時間40分、急行で約2時間)。名古屋方面からも大阪を経由した方が早いです。
・和歌山・奈良方面からのアクセス:JR和歌山線橋本駅で南海高野線に乗り換え高野山駅へ。
高野山駅から南海りんかんバス「奥の院前方面行き」他で千手院橋バス停下車。