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★ むしたれいた


 「むしたれいた」とは、「むし」を垂らした「いた」のこと。

 「むし」とは、女性が市女笠の周りに垂らして外から顔を見透かされるのを防ぐ垂れ絹のことで、中世、熊野詣をする女性は、むしを垂らした市女笠をかぶり、顔を隠しました。

 中世、熊野は浄土の地とみなされました。熊野詣は極楽往生の予行演習であり、いったん死んで甦るのが熊野詣でした。したがって熊野を詣でるには「葬送の作法」をもって行なわれ、参詣者は死装束である白装束を着て熊野を目指しました。

 女性参詣者がかぶった市女笠も、伊勢では葬送の際に女性がかぶったもので、熊野詣にふさわしい葬送の作法に則った装束でした。

 むしを垂らして顔を隠したことについては、虫よけという実際的な役割もあったと思われますが、信仰上の意味もありました。「むしたれ」には、それで外界を遮断するということから、浄土に生まれ変わるために、娑婆世界への道を遮断するという意味が込められていました。

 「いた」は、熊野を詣でる女性のことを表わしています。
 熊野を詣でる女性参詣者は自らを「いた」と名のりました。

メレ子さんの平安衣装姿熊野古道大門坂にて
http://flickr.com/photos/merec0/
2259687665/in/set-72157603893570948/

実際の中世の熊野詣の衣装は白装束。
このようなきらびやかな衣装ではありませんでした。

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 熊野詣の道中、男は「サヲ」、女は「イタ」、尼は「ヒツソキ or ソキ」、法師は「ソリ」と名のらされます。それは、新しい名を名のることで、俗世間での名や身分、それまでの自分を捨て、まっさらの一人の神子・仏子として熊野権現に向き合うためです。

 「サヲ」は男巫を意味する言葉で、男が「サヲ」と名のることは、熊野詣の道中、男は熊野権現に仕える神子であることを意味します。
 「イタ」は巫女で、女が「イタ」と名のることは、熊野詣の道中、女は熊野権現に仕える巫女であることを意味します(そういわれてみれば、「イタコ」という言葉も思い浮かびます)。
 法師の「ソリ」はその剃髪した頭からそう名のらせたのでしょう。「ヒツソキ or ソキ」は、尼のことを古くは「ソキ尼」といったので、そこから来たものと思われます。

 熊野は山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女性の参詣を禁じませんでした。禁じないどころか積極的に受け入れていました。熊野を詣でる女性はすべてみな等しく「いた」、熊野権現の巫女でした。
 熊野権現は、当時不浄とされていた女性の生理でさえ気にしませんでした。
 熊野は女性の参詣を広く受け入れました。これは特筆すべきことです。熊野ほどに女性の参詣を歓迎した社寺は他にありません。
 女性参詣者を「いた」と名のらせる。すべての女性参詣者に熊野権現の巫女と名のらせる。そこには、女性の参詣を広く受け入れた熊野の自負のようなものが感じられます。

 熊野は、男であろうが女であろうが、老人であろうが若者であろうが、身分が高かろうが低かろうが、出家していようが在家であろうが、救いを求めてきた者に対しては、誰にでも手を差し伸べるのだと。
 熊野は、当時、忌み嫌われ、非人とされたハンセン病者をも受け入れました。熊野権現の御利益はあらゆる人々に無差別に施されるものだったのです。

 西行の歌。

み熊野のむなしきことはあらじかし むしたれいたの運ぶ歩みは

(『山家集』下 雑(百首) 1529)

神聖な熊野三山は、詣でて虚しいことはあるまいよ。むしたれいたの運ぶ足を見ているとそう思う。

 

 南方熊楠の随筆のなかに「むしたれ」について書かれた部分がありましたので、引用。

『類聚名物考』に、熊野は暖地で毒虫や瘴気が多い、だから他所と異り、熊野詣りは冬これをなす、といった。しかし、夏も熊野詣りが盛んに行われたは、『盤游余録』に、熊野詣でというものは、虫垂絹をかぶり、杖、笈などにもめなれぬ形多く、古りぬる世の物とみゆ。註に、熊野の道は木深く蛭多ければ、それをよけんためなりといえり、とある。才媛小大進が熊野より返る道中で、虫垂絹の透間から顔を見られて、思い掛けぬ筋の文を受け取ったことが、『続世継』に出づ。これは笠の周りにマントーのような物を垂れた物で、蛭のみならず、種々の毒虫を避けたのだ。『骨董集』に図あり。そんな大層な物をこしらえ能わぬ者は、切目王子のナギの葉を佩びて蛭を禦ぎ、この神島の彎珠を持って、蛭、蛇、諸毒虫をしりぞけた。 (「紀州田辺湾の生物」南方熊楠全集第6巻、280頁)

(てつ)

2008.2.15 UP
2013.10.1 更新
2017.1.24 更新
2017.11.2 更新

 ◆ 参考文献

新潮日本古典集成49『山家集』新潮社
山本ひろ子『変成譜―中世神仏習合の世界』春秋社
『南方熊楠全集 第6巻 新聞随筆・未発表手稿』 平凡社

 


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