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熊代繁里『熊野日記』(現代語訳)

熊代繁里『熊野日記』安政6年4月15日(現代語訳)

この日の日記について

 4月15日は熊野本宮大社例大祭・本宮祭の最終日。本宮祭は4月13日から15日にかけて斎行されます。
 15日には本殿祭、渡御祭、還御祭が執り行われます。この日の日記から幕末の本宮祭の様子がわかります。

安政6年4月15日(現代語訳)

15日 卯の時(6時頃)に起き出した。今日は大神の御田祭なので、大宮司良福はまだまだ暗いうちに装束を着て、大宮へと行く。おのれも湯浴みして朝早く宮居に参り、まず大神の御前を次々に拝み終えて、飾り立てた御太刀、御弓、鉾、翳(さしは)[1] 、その他何くれと数多の神宝どもを見まつるに、とてもきらきらしていて、まばゆく感じた。

それというのも実は殿の君より特に心づかいがあってお贈り献上なさった品々がたいそう多かったからである。このようなのを見るにつけても、神の威光が年を追うごとにお整いになるのはとてもすばらしい。大宮司を初め数多の宮人が大前(おおまえ:神の前)にみてぐらを捧げ祝詞を読むと、ことに尊く畏く、大庭にうずくまって、

 大み田のまつりのゆ庭さやさやにうつやひらては千代のかずかも
(訳:御田祭の斎庭で清らかに打つ八開手(やひらで)[2]は千代の数?だなあ)

この帰り道、坂本光国を訪ねたが、大宮に参っていて家にいなかったので、すぐに有馬へと帰る。竹村思象よりあれやこれやの品々を丁寧にとりしたためてこちらへ送ってきた。巳の時(10時頃)過ぎたころから例の人々の頼みの短冊を書く。範文より今回教え子となって喜ばしいとのことをはしがきして、

 かげたのむこゝろの糸を千代にかけて君がことばの花にむすばむ
(訳:あなたを頼りにする心の糸を千代にかけて、あなたの言葉の花に結ぼう)

と詠んで起こした返し、

 千代かけしこゝろの糸につらぬきてことばの玉を五百つ(いおつ)つどへよ
(訳:千代にかけた心の糸に貫いて言葉の玉を数多く集めよ)

昼過ぎたころ丸山仲が訪ねてきた。範文が訪ねてきて語らっていると、未の時(14時頃)下がるころに神輿がお渡りになると大勢集まって騒ぎ立てる声に、範文らと門の外に出て、この向かいにある家の庭に這いかがんで座って待っていると、旗、鉾、弓、矢、太刀と、限りも知らず持ち連ねて渡るのを見て、

 神たからいやつぎつぎにさゝげもてもろ人わたるところせきまで
(訳:神宝を次々に捧げ持って多くの人々が渡る、場所がいっぱいになるまで)

 大神のうつのみとらしみはかしと弓矢太刀鉾つかへけらしも
(訳:大神のうつの?御執らし(みとらし:お弓)、御佩刀(みはかし)、弓矢、太刀、鉾を使ったのだろうなあ)

早乙女、稚児、巫女、数多並び立ち続いていく。神の御輿の後ろの方に、ここの宮人すべてが付き添い、

 しらま弓しらま弓、やがていのりの門をさめ、ならの葉音(下は13日のに同じ)[3]

と繰り返し繰り返し歌いながら、御旅所へと行くさまは尊い。[4]今日御祭を拝みにといって遠近より集まった人は幾千人であろう、引きも切らず一帯がやがやしている。

 としあれの大御田祭をろがむとたり穂のしゞに人ぞまゐくる
(訳:としあれの?大御田祭を拝もうと、たり穂の?数多く人が参り来る)

田辺人玉置光照、金谷昌守ら3、4人が訪ねてきてしばらく話してから去った。申の時(16時頃)より神輿がお帰りになるのを拝もうと、範文といっしょに御幸道の鳥居のもとに立って待っていると、人の声がものすごい。御旅所よりは神輿を大きな台に載せ、錦綾を張ってその下に5、6寸角の木を四方八方に結びかため、200〜300人で手元にたぐり寄せる。[5]数多の人がこころこころに担い扱うからであろうか、あちこちを巡り歩いて容易くは進まない。

 大神のみこしのくもであなゝひていゆきかへらひ宮路ねりくも
(訳:大神の神輿が四方八方にあなないて?度々往っては還って参道を?)

少しずつ鳥居のうちに入るのを見申し上げて、まわりをとり囲む大勢の人々の中を押し分けながら、また大宮に詣でて、日が暮れるころになって有馬に帰った。思象、良暢、長養、光国ら、7、8人が訪ねてきて、明日の事ごとも語るなどして、夜更けて去った。

今日は朝より曇りで、午の時(12時頃)を過ぎたころに雨が少し降ったが、すぐに止んで、神輿がお渡りになるころより天気はよかった。

注記

1. 翳

 翳(さしは)は、貴人の外出のときに従者が後ろからさしかける、柄の長いうちわのようなもの。今の本宮祭では翳の代わりに傘を用います。

2. 八開手

 八開手(やひらで)は、かしわ手を8度打つこと。今の本宮祭の斎庭神事ではかしわ手は2度で、8度打つことはしません。

3. 神歌

 13日と15日では神歌の囃子詞が少し異なります。

13日の神歌

しらまゆみしらまゆみ、やがていのりの門おこす

ならの葉音、こがねの鈴こそ、ならしみかぐら、やよありや、さにやぞありや、さにやさに、

15日の神歌

しらまゆみしらまゆみ、やがていのりの門をさめ

ならの葉音、こがねの鈴こそ、ならしみかぐら、やよありや、さにやぞありや、さにやさに、

 「門おこす」と「門をさめ」。祈りの門をおこす? 祈りの門をおさめ?
 今の本宮祭りでは13日も15日も同じ囃子詞です。

 「ならの葉音…」の歌は、4月13日の日記で触れましたが、今の歌と少し異なるところがあります。

4. 神輿渡御の行列

 「旗、鉾、弓、矢、太刀」「早乙女、稚児、巫女」「神の御輿」「宮人」。
 この神輿渡御の行列の記述に「挑花(ちょうばな)」がないのが気になります。
 挑花は豊穣の母神・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)に奉る菊の造花。今の本宮祭では15日の渡御祭で挑花を台に飾りつけ肩に担いで掲げて渡御します。

5. 神輿

 「神輿を大きな台に載せ、錦綾を張ってその下に5、6寸角の木を四方八方に結びかため、200〜300人で手元にたぐり寄せる」。
 今の神輿はこのような大きなものではありません。写真は見たことがあり、数十年前までは幕末の頃の形で神輿が担がれていました。

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(てつ)

2023.4.3 UP

参考文献