■ 熊野の説話 |
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◆ 熊野別当行快の武勇 |
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建長六年(1254)成立の橘成季(たちばなのなりすえ)編著の説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』に第22代熊野別当、行快(ぎょうかい。第19代行範の子。母は源為義の娘「鶴田原の女房」)の若いときの話があります(巻第十二 偸盗 第二十三 四九七)。
正上座という弓の上手(行快。「上座」は寺院の僧職のひとつで、「正上座」は行快の僧職にちなんだの行快の呼称。叔父に強弓で知られる鎮西八郎為朝がいた)が若かったとき、三河国(愛知県)から熊野へ渡ったが、伊勢国(三重県)のいらごのあたりで海賊に遭った。 こういうのを聞いて、悪徒は「熊野の御米と見たからこそ普通ならば有無を言わせず強引に船を止めるのだが、遠慮をして言葉をかけているのだ」と言う。 すると、海賊一人が武装して出てきて、言葉戦い(合戦の前の前哨戦として行われた言葉による戦い)をした。 この矢をつがえる速さに海賊らは驚いて、「これはどなたでおいでなのでしょうか」と問うたところ、「お前らは知らないのか。正上座行快であるぞ」と名乗って、「この辺の海賊はきっと熊野育ちの連中であろうと思うので、手加減をして手並みを見せようぞ」と言った。 行快の先代、第21代熊野別当 湛増は、源平の壇の浦の合戦において200余艘に及ぶ熊野水軍を率いて源氏方につき大活躍。平家を沈めました。 (てつ) 2005.8.29 UP ◆ 参考文献
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