■ 全国熊野神社参詣記

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新熊野神社
(いまくまのじんじゃ)

新熊野神社

京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42

祭神 伊邪那美命 配 後白河上皇

この神社は熊野三山の本宮大社に相当します。
ついでながらなお山王町の熊野神社が速玉大社、
若王子町の熊野若王子神社は背後の東山中に滝を持ち那智大社に相当します。
これで京洛にも熊野三山がそろいましたね。

由緒

 永暦年間(1160年)、法住寺殿造営に当たり、後白河院が新日吉社とともに勧請。
熊野から土や楠を持ってこさせ、今なお樹齢800年以上の大楠となり、大樟之社としての神木です。

−−−以下 神社本庁 平成祭礼データから−−−

新熊野神社の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな」熊野神社の意味です。
又「新」を「いま」と読むのは、「新」は「いま(今)」に通じ、日々新しい心で、
「今」を充実して大切に生きる神様の教えの現れです。

伊邪那美命、速玉男命、事解之男命、天照大神を主神とし、天忍穂耳命他3柱の皇祖
皇宗の神、軻遇突智命他3柱の生活と産業を守る神々12柱祀られている。特にこの
世とあの世への厄災をはらい清める神々が祀られている。(新熊野12社権現とも称
す)

後白河上皇は、紀州国(今の和歌山県)の、熊野三山(本宮、新宮、那智宮)を尊崇
し、平清盛公を造進使として、熊野の霊地をこの地に再現するため、遥々熊野より土
砂材木などを運び、地境を築き、宮殿を造り永暦元年(1160)上皇の御所「法住
寺殿」の東北の地に熊野の新宮を創建された。これが現在の新熊野神社である。

創建の頃は、古書に「宮殿廻廊甍を並べ金銀珠玉を鏤ばめ……繁栄は他社に冠絶して
いた」とある。応保2年(1162)。勅使(平清盛公)参向し、大神宮の例に準じ
て行われた。(官幣の大社)養和元年(1181)当社永代維持のため、諸国28ヶ
所の庄園、社領が寄進され、以後300有余年間社殿堂宇魏然として在立し、祭儀連
綿として厳修された。しかれども応仁の兵火以後衰微し、又度重なる兵火により壊廃
し、天文年間を以て祭儀不能、以後120年間廃絶同様の状態であった。しかるに4
代徳川家綱の時、後水尾上皇の中宮東福門院は、当社の復興を発願され、禁中を始
め、諸御所や将軍家諸大名より寄進を得、寛文13年(1673)聖護院宮道寛法親
王により再建されたのが、現在の社殿である。社殿は入母造妻入の熊野造の古制を伝
える全国的にも類例の少ない貴重な遺構で、京都市の重要建造物である。

−−− 平成祭礼データは以上 −−−

たたづまい

東山通りの車と人の行き交う道にへばりつくように楠木がこんもりとした生命力を発している。
「おれが熊野だ!」との叫び声が聞こえそうだ。
東山通りを作るために神社境内が削られたようで、大きい木々や神社の割りには社域が狭いと思う。
その上に何故か境内に車が目立つ。安全祈願の様子ではない。
あまりいい感じではないどすえ。

新熊野神社

Thanks 神奈備さん

2002.4.24 UP
No.131

 

京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町

読み方:きょうとふ きょうとし ひがしやまく いまくまの なぎのもりちょう

郵便番号:〒605-0971

東山区HP

東山区 - Wikipedia
東山区(ひがしやまく)は、京都市を構成する11区のうちのひとつ。区域はおおよそ、北は三条通から南は鳥羽街道駅まで、西は鴨川から東山まで。
区内には祇園や三条京阪周辺などの繁華街がある。京都のなかでもとりわけ歴史的建造物などの多い場所であるため再開発事業などに対しての規制が比較的厳しく、住環境の整備が中々行われない為、『都会の過疎地』となっている(現在、市内11区中で人口が最も少ない。また、全国の政令指定都市の行政区の中で、全住民に占める65歳以上の高齢者の比率がもっとも高い)。区域面積は京都市の1%にも満たない。

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