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◆ 山本玄峰  和歌山県田辺市本宮町出身


山本玄峰

玄峰老師は、太平洋戦争終結に尽力した湯の峰生まれの名僧。

山本 玄峰(やまもと げんぽう、慶応2年1月28日(1866年3月14日) - 昭和36年(1961年)6月3日)は、和歌山県本宮町生まれの禅僧。昭和において多くの著名人が参禅に訪れた静岡県三島市の龍沢寺の住職として有名。鈴木貫太郎に終戦を勧め、戦後も象徴天皇制を鋭く示唆する。(山本玄峰 - Wikipediaより)

一般にはあまり知られていませんが、日本の近代史に大きな影響を与えた大人物です。

1945年1月、玄峰は公案に「日本をどうするか」を出した。清玄が「戦争をとめるしかありません」と言うと、「だめだ、練り直してこい」と却下。三日たっても答えられないでいると、「無条件で戦争に負けることじゃ」と怒鳴られた。本土決戦や聖戦完遂は、我執にとらわれているという。これで清玄は国を救う決意がかたまり、神中組という結社をつくる。また終戦工作に加担する。田中清玄は枢密顧問官の伊沢多喜男に相談。3月25日、赤阪で山本玄峰は鈴木貫太郎と会談、「事態を収拾できるのはあなただ」と言った。やがて鈴木に終戦内閣の大命が下り、日本はポツダム宣言を受諾した。(田中清玄 - Wikipediaより)

玄峰老師の名は知らなくとも、太平洋戦争における日本の降伏を国民に伝えた玉音放送(1945年8月15日)の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という言葉は誰もが聞いたことがありますよね。

無条件降伏を勧め、また天皇を国家の「象徴」とするよう示唆するなど、鈴木貫太郎首相などの相談役を努めました。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言は、山本玄峰が鈴木貫太郎首相に宛てた書簡の一節から取ったものだと言われています。

玄峰老師のお墓

和歌山県田辺市本宮町渡瀬に玄峰老師のお墓があります。

玄峰塔

湯の峰温泉東光寺前にある「玄峰塔」。

玄峰塔

湯の峰温泉の老舗旅館あづまやさんの館内に飾られている玄峰老師の書(レプリカ)。

玄峰塔

あづまやさんには玄峰老師の銅像も。

「性根玉(しょうねったま)を磨け、陰徳を積め」が玄峰老師の教えでした。

2010.3.4 UP
2012.8.5 更新
2018.6.3 更新

 ◆ 参考サイト

山本玄峰 - Wikipedia

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