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熊野本宮大社例大祭・本宮祭で歌われる歌

本宮祭で歌われる歌

 熊野本宮大社例大祭・本宮祭で歌われる歌をご紹介します。氏子総代である私にも意味がわからない歌もあり、意味のわかる歌もあります。

神歌

宮渡神事
4月13日の宮渡神事

 行列が歩みを進める際に氏子総代が歌う歌。4月13日の「湯登神事」「宮渡神事」、4月15日の「渡御祭」「還御祭」で歌われます。

歌 ならのはおとと こがねのすずこそ ならしみかぐら やよう ありや そうやそ ありや そやそ

囃 しらまゆみしらまゆみ やがていのりのかどをこそ

 『紀伊続風土記』には以下のように記されています(以下はてつによる現代語訳)。

この神事に神歌というのがある。

 しらまゆみしらまゆみやかていのりの門をこそふならし御かくら
 ならのはおとこかねの鈴こそそうやそありやそうやそ

この歌を始終宮中から真名井社まで往来とも社家社役人がこれをうたって太鼓をうち行列する。

本宮 年中行事『紀伊続風土記』現代語訳

 少し違いがありますが、誤記でしょうか。それとも現行のほうが誤って伝えられたものなのでしょうか。

 歌の意味はたぶん、楢(ナラ)の木の葉が風で擦れあって音が鳴るなか、黄金の鈴を鳴らして音楽や舞を奉納します、という感じでしょうか。

 ナラの木はどんぐりのなる落葉樹。熊野ではナラの木といえば小楢(コナラ)のことでしょう。コナラは古くは柞(ハハソ)とも呼ばれました。

徳大寺左大臣の詠に「夕かけて楢の葉そよぎふく風に、まだき秋めく神なびの森」。神林に楢、柞多きはみな知るところで、『連珠合璧集』「柞とあらば、森、佐保山、泉川、いわたの小野(おの)。楢の葉とあらは、柏、時雨ふりおける、名におう宮古事」とのせ、『後拾遺』「榊とる卯月になれば神山の、楢のはかしはもとつはもなし」と引いた。これで楢、柞は今日神林に多いが別に神木とされぬに反し、むかしはもっとも神に縁厚かったと知る。

南方熊楠「トーテムと命名」『南方熊楠全集』3巻、平凡社)

 ナラの語源は風が吹くと葉擦れの音が「鳴る」からとの説もあります。

 ナラの葉音から連想されるのは古代ギリシアの神託所、ドードーナ。ドードーナーではオーク(oak)の葉音から神の意を伺ったとされます。オークはブナ科コナラ属の植物の総称です。

古典古代の時代に記された様々な記録によれば、巫女や神官たちは神聖な洞窟においてオークの葉のざわめく音によって、正しい行動をとるための判断をしていた。

ドードーナ - Wikipedia

 昔の日本人も、古代ギリシアの人たちのように、ナラの木の葉音から神的なものを感じていたのかもしれません。

 囃の意味はわかりません。白真弓(まゆみの木で作った白木の弓)を使った歌舞を昔は行っていたのでしょうか。「やがて」はここではどのような意味なのでしょうか。「祈りの門をこそ」というのもわかりません。

有馬の窟の歌

 4月15日の御田祭(おんださい)でその中心的祭儀である御田植神事が行われる前に地元の少年少女が舞を奉納します。
 先に少年4人による大和舞が演じられます。この舞を舞うときに氏子総代が歌う歌が「有馬の窟(いわや)の歌」と「花の窟の歌」。

ありまや まつりは はなの はたたて ふえに つづみに うたひまひ うたひまひ

(有馬や 祭は 花の幟立て 笛に 鼓に 歌い舞い 歌い舞い)

 この歌は『日本書紀』にある以下の記述に基づくようです(以下はてつによる現代語訳)。

イザナミノミコトは、火の神を生むときに、陰部に大火傷を負って死んでしまう。その遺体は紀伊国の熊野の有馬村に葬られる。村人は、この神の魂を祭るのに、花のときは花をもって祭り、鼓・笛・幡旗をもって歌ったり舞ったりして祭る。

 主祭神・家津御子大神(スサノオノミコト)が鎮座されたとき、「我を祀るには母神(イザナミノミコト)も祀れ」とおっしゃられたことから有馬村(現・三重県熊野市有馬町)の花の窟から母神をお迎えして、「花のときは花をもって祭り、鼓・笛・幡旗をもって歌ったり舞ったりして祭る」ようになったといわれます。

挑花

 本宮祭では挑花(ちょうばな)と呼ばれる菊の造花を母神に捧げます。挑の字には「掲げる」「担ぐ」などの意味があり、15日の渡御祭では挑花を台に飾りつけ掲げて渡御します。この花を授かれば、1年災難なく過ごせ豊作であると伝えられます。

挑花

挑花

花の窟の歌

 同じく大和舞のときに氏子総代が歌う歌。

はなの いはやは かみの いはやぞ いはへや こども いはへこら いはへこら

(花のや 岩屋は 神の 岩屋ぞ 祝えや 子供 祝え子等 祝え子等)

 「祝えや 子供 祝え子等 祝え子等」の歌の通り、本宮祭の神事の多くで子どもが主役となります。

大直日の歌

 大和舞のあとには少女4人による巫女舞が奉納されます。このときに氏子総代が歌うのが「大直日(おおなおび)の歌」。

あはれえ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけあしめ おけおお

(あわれ あな面白 あな楽し あなさやけ おけあしめ おけおお)

 この歌は平安時代の神道資料『古語拾遺』にある天の岩戸開きの場面で天照大神が出てきたときに神々が喜んで歌い舞ったときに口にした言葉「あはれ あなおもしろ あなたのし あなさやけ おけ」が元でしょう。

この時に当りて、上天(あめ)初めて晴れ、衆(もろとも)倶(とも)に相見て、面皆明白(おもみなしろ)し。手を伸(の)して歌ひ舞ふ。相与(とも)にいわく「阿波礼(あはれ)。〔言ふこころは天晴(あまはれ)なり。〕阿那於茂志呂(あなおもしろ)。〔古語に、事の甚だ切(せち)なる、みな阿那(あな)といふ。言ふこころは衆(もろかみ)の面明白(おもしろ)きなり。〕阿那多能志(あなたのし)。〔言ふこころは手を伸して舞ふなり。今楽しき事を指して多能志といふは、このこころなり。〕阿那佐夜憩(あなさやけ)。〔竹葉(ささは)の声なり。〕 飫憩(おけ)。〔木の名なり。その葉を振る調(しらべ)なり。〕

(斎部広成撰、西宮一民校注『古語拾遺』岩波文庫より訓読文を引用、一部漢字をひらがなにしました)


(てつによる現代語訳)

このときに天上は初めて晴れた。神々が互いに見た顔がみな明るく白かったので、手を伸ばし歌い舞い、共に次のように言った。

あはれ[天が晴れることを言う]

あなおもしろ[古語で事が切に甚しいのをみな「あな」と言った。「おもしろ」は神々の顔が明るく白いことを言う]

あなたのし[手を伸ばして舞うことを言う。今は楽しい事を指して、これタノシと言うのはこの意味である]

あなさやけ[サヤケは竹の葉の声である]

おけ[木の名である。その葉を振るわす調べである]

 『古語拾遺』に記された解釈に従えば、「大直日の歌」の意味は「天が晴れた。ああ光を受けて顔が白い。ああ楽しい。ああ竹や木の葉音が聞こえる」というようなものになるのではないかと思います。

 「神歌」の「ナラの葉音」のように、「大直日の歌」でも竹や木の葉擦れの音が大切なものとして歌われているようです。この歌をなぜ「大直日の歌」と呼ぶのかはわかりません。大直日神という神様は『日本書紀』に登場しますが。

 大和舞と巫女舞は熊野那智大社例大祭・扇祭とほぼ同じ形式で行われます。

田歌

 巫女舞のあと小学校低学年の子どもたちにより御田植神事が奉納されます。このときに歌われる、その年の豊作を祈る歌。この歌は伶人が歌います。

あああおい くううもが さしでえたあよ しそうの ほしいかあな やよ ありや そや そやそやよ ありやそおやそお

(青い雲が差し出たよ しそうの星かな やよありや そやそやよ そやよ ありやそやそや)

 意味がわかりませんが田植歌のようです。
 「青い雲」は青みがかった雲か、それとも漢語の「青雲(せいうん)」に晴れて青々とした空の意味もあるので、もしかしたら青空を意味しているのかもしれません。「しそうの星」は「四三の星」で、北斗七星のことでしょうか。わかりません。

 この歌には今では歌われませんが、以前は続きがあったようです。

秋の田を刈りわけゆけば 草葉の露に裾ぬれぬれぬ やよありや そやそやよ そやよ ありやそやそや

 これは田刈歌のようです。

熊野本宮大社例大祭

※このページに掲載しているお祭りの最中の写真は私が氏子総代に就任する以前に撮影したものです。

(てつ)

2021.4.17 UP
2021.4.18 更新
2021.4.19 更新
2022.3.27 更新
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参考文献