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平治物語5 清盛、熊野権現に祈る

平治物語 現代語訳5 清盛、熊野権現に祈る

 1 信西打倒の議 2 悪源太義平の提案 3 信西出家の由来
 4 信西が示した不思議 5 清盛、熊野権現に祈る 6 清盛、六波羅に着く

 平治の乱を描いた軍記物語『平治物語』より熊野が関連する箇所をピックアップ。

「六波羅より紀州へ早馬を立てらるる事」全文を現代語訳

 そうするうちに十日(平治元年12月10日)に、六波羅(平氏の京での拠点)の早馬が立って、切部(切部王子:熊野九十九王子のひとつ。切目王子とも。とくに格式の高い五体王子のひとつ)の宿で追いついた。清盛が「何事か」とおっしゃると、「去る九日の夜、三条殿に夜討ちが入って、御所中みな焼き払われました。姉小路西洞院の少納言信西入道の宿所も焼けました。これは、右門衛督(藤原信頼)が左馬頭(源義朝)を語らって当家を討ち奉ろうということだと承っています」と申し上げた。

 清盛は「熊野参詣は遂げるべきか。ここから帰るべきか」とおっしゃると、左衛門佐重盛が「熊野へ御参詣しますのも、現世と来世の安穏を御祈祷するためです。敵を後に置きながら御参詣するのはいかがでしょうか」と申し上げたところ、「敵に向かって帰京するのに、鎧の一領もなくてどうするのか」とおっしゃった。

 そこに筑後守家貞が長櫃(ながびつ:長方形の、ふたのある箱)を五十合を重たげに担ぎ出させて出てくる。このような晴れがましいときに長持(ながもち:長櫃より作りがよいもの)を持たせずに、長櫃を担ぐのはふさわしくないと人が申し上げるが、ここから五十領の鎧、五十腰の矢を取り出して奉る。

「弓はどうした」と清盛がおっしゃると、大きな竹の節を突きて、そこに弓を入れさせていた。母衣(ほろ:鎧の上に付けて矢を防ぐ布)まで用意していた。

 家貞は重目結(しげめゆい:鹿の子絞りの目のこんだもの)の直垂に洗革(あらいがわ)の鎧を着て、太刀を脇に挟み、「大将軍に仕えるにはこのようにするものですぞ」と申し上げた。侍どもも道理であることだと感心した。

 熊野別当湛増が田辺にいるので使者を立てられると、湛増は兵二十騎を清盛に奉った。そして湯浅権守宗重が三十余騎にて馳せ参った。これでおよそ百余騎になった。

 また悪源太(源義平)が三千騎にて阿倍野で待ち伏せていると聞こえたので、清盛は「この無勢で多勢に向い、討たれるのは無念なことだ。ここから四国に渡り、兵どもを招集して、後日都に入るのはいかがであろうか」とおっしゃると、重盛は「ほんとうにそのようにしまして、当家を討てと申します院宣が諸国へ下りましたならば、院宣に背く者は一人もおりますまい。多勢で無勢を討つのは常のこと。駆け向かって即時に討死したならば、後代の名声は残せると思うが、いかがであろうか、家貞」と申し上げた。

 家貞は「六波羅に御一門の人々が心配してお待ち申し上げているでしょう。急ぎくださいませ」と申し上げたので、清盛もこの考えに賛成し「それならば馬を走らせよ、者ども」と、都を目指して引き返す。

 清盛・重盛は浄衣の上に鎧をお着けになった。御熊野に頼みを懸ける諸人が挿頭(かざし:草木の花や枝などを髪や冠や笠などに挿したこと。また、その挿した花や枝)に挿しているナギの葉を、射向の袖(いむけのそで:弓を射るときに敵に向ける側の袖。左の袖)に付けた。

熊野権現に敬って礼拝し奉る。今度の戦に勝たせたまえ」と祈祷するより他に頼みもなく、馬を急がせ急がせ駆けるうちに、和泉国と紀伊国の境にある鬼中山にお着きになる。

都の方より葦毛の馬に乗った武者が現われた。馬を急ぎに急ぎ、早馬と思われる。さては悪源太の前駆かと、皆が顔色を失った。しかし敵ではなく、六波羅からの早馬であった。近付いたので、馬より下りて畏まる。

「何事か」とおっしゃると、「去る夜半ばかりに六波羅を出ましたが、それまでは何事もありませんでした。ただし播磨中将殿(藤原成憲。信西の三男)が、命を守るために当家においでになっていましたが、内裏から宣旨であると言ってしきりにお召しがあり、十日の暮れにお出し申し上げました」と申し上げると、左衛門佐重盛は「まったく不甲斐ないことをされた人であることだ。我を頼って来られた者を敵の方へ渡されたことは嘆かわしいことだ。そんなようでは、当家の味方に勢いが付くことがあろうか」とお怒りになった。

「悪源太が阿倍野で待ち伏せしているというのはいかがか」
「そのようなことはありません。伊勢国の住人である伊藤・賀藤の兵どもが、都へお入りになったので、御伴つかまつろうとして、三百余騎にてお待ちしています」と申し上げたので、「悪源太が待つというのはこれを言ったのだ。馬を走らせよ、者ども」といって、皆、顔色を取り戻して、連なる雁が列を乱すように、我先にと進んだ。やがて和泉国大鳥の宮にお着きになった。

重盛が秘蔵なさっている飛鹿毛という馬に、白覆輪の鞍を置き、神馬として奉納し、清盛が一首の歌を詠んで奉った。

  かいこぞよかへりいでなばとぶばかり はごくみたてよおほとりの神

 (訳)私はいま卵です。卵から孵って出たら飛ぶばかりです。
    それまで羽で覆って育ててください。私の前途を守ってください。大鳥の神よ。


 熊野詣の途上にあった清盛は、切目王子で梛の枝を手折って左袖に付けて護符とし、熊野権現の加護を祈り、京に引き返しました。

 

 

(てつ)

2012.4.22 UP

参考文献