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藤原頼資『修明門院熊野御幸記』(現代語訳4)

藤原頼資の修明門院熊野御幸随行日記(現代語訳4)

 承元4年(1210年)の修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資(ふじわらのよりすけ)の記録『修明門院熊野御幸記』を現代語訳してしてご紹介します。このページは5月1日〜2日の分。

  1. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳1
  2. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳2
  3. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳3
  4. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳4
  5. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳5
  6. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳6
  7. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳7

 漢文は不得手なので、間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、メールフォームはこちら

修明門院熊野御幸記

5月1日

五月一日、戊子(つちのえね・ぼし)。
朝、御浴・御拝・御禊。終わって出御。
王子(※近露王子)に参御。
次に檜曽原・継桜・中川など王子を例のごとく御参。
次に熊瀬川で昼御養〔別当が同じくこれを設けたのか〕。次に出御し、石神王子に御参。次に湯川御所に着御し御昼養がある。臨時の御浴・御禊などがある。
人々は臨時の浴をなし、めいめいに宿所を退出。

しばらくして皆が帰参し、次いで出御。湯川王子に参御。次に猪鼻王子。次に発心門において御禊があり、同王子(※発心門王子)は杖を献御される。御笠と四手(しで:玉串や注連縄などに下げる紙)を同じくこれ(※杖)に付ける。
各々の私の先達が杖を授ける。

御奉幣以下の事が終わって、御先達が金剛杖を進められる。〔源宰相中将がこれを取り、御輿に進み入り、すぐに院はお返しになる。御先達が直に進み入るべきか。その後、宰相中将にお預けになるべきとのこと。但し両説か。不審〕
次に出御。次に内水飲において御小養を設ける〔湛政法印がこれを設ける〕。次に同王子(※内水飲王子。後に水呑王子)に参御。加津江坂を御歩きになる。

予らは先行して、祓戸王子辺の小堂において聊か事に宜しい(※適切な)浄衣を着る。
王子に参り、御幸を待ち奉る。人々は皆ことごとくつつしんで仕える。

ここより神宝以下行列〔行事院司・庁官が御養所から前行してこれを行くとのこと。ただこの度はそうではない。御歩きのとき自然に遅々となるためか。もっとも可理〕。祓戸王子に参御の後、ここにおいて御禊がある。〔大麻で、まず神宝を撫で、庁官役之後、信能朝臣に授けて、本宮の方に向かわせなさる〕
次に本宮に参御、行列。
まず神宝。次に御先達。次に公卿・殿上人。
次に御輿。次に上北面。次に女房輿3張。
次に歩いて行く女房〔下北面の輩がこれに付き添う〕。
まず御装束を改めずに御参宮〔神宝は油戸に入らない。回廊の外から庁屋に付ける〕。御路は東の回廊の外に沿って参御。証誠殿門から御輿のまま入御。上北面の 輩4人がこれに昇り奉る〔あるいは、ここから御輿を御下りになる。また例である。このとき殿上人は御牟志を進める〕。この間、別当は雑人を払い下がらせ る。
順番に御巡礼の後、一万十万前の戸から御退出させられる〔御輿を御下りしているときは御輿を楼門の下に準備する。ここから御乗りになるためである〕。
御所に着御。御浴水がある。
音無河近代熊乃川とのこと。

これに先んじて予らは退出。奉幣の装束を着て〔立烏帽子・張下袴、その他のことは例のごとし〕帰参〔このとき黄昏である〕。人々は皆ことごとく参入。次に出御〔北東面師織戸から出御。予らは松明を取る〕。
■■経御所の前に御出になり、南織戸の外東面に御輿は居る。御輿で御禊がある〔御所の前の白砂の上、本宮に御向かいになる。□が昇り奉って居る。御輿は鳥居の内の路、本路である〕。予は役を勤めて送る。御禊の間、御幣以下立ち並ぶ。

金銀の幣〔宗行朝臣がこれを取る〕、白妙の御幣3捧げる〔予がこれを取る〕、
同じ幣9捧げる〔清実〕、御花米〔桶に入れて〕、康業
御二体2人〔忠綱・信経〕 師子形2人〔藤康定・主典代資宗〕、

   殿上人不足のときは、北面の五位が主典代に立つ。加(嘉か)例である。

御禊が終わって、神宝・御幣を庁官にお返しになる。予は御輿の前に進み、御あがない物を片づける。次に御宝前に参御〔予らは松明を取り前を行く〕。御先達が先にある。御幣・神宝、これを捧げる庁官が前に行き、御路は先度のごとく回廊の外をおめぐりになる。

まず証誠殿に御参り〔まだ御輿に御乗りになっている。これは希代の例である。先例はみな御輿を御下りになって御奉幣がある。しかしながらこの度の御先達はこ のように申され行なう。定有存知か〕、御奉幣のことがある。予は取って膝を突き、証誠殿の前に布を敷く〔両所以前に庁官に仰って、前もってこれを敷かさせ る〕。

権弁が金銀の御幣を取って御先達に渡し、御先達の後ろに退き下がる。
宰相中将が参入。幣を取ってこれを進め、御先達に渡す。御先達は神職にお与えになる。この間、権弁は白妙の幣を取って立つ。神職が祝詞を奏上する。
先是神宝伝三昧。次に両所に御参り〔1度の御奉幣〕。次に若宮殿・五大王子、この次に御奉幣がある。次に一万十万の御前で御奉幣がある〔四所1度の御拝がある〕。

ここにおいて祝詞が終わった後、神職が禄をお与えになる〔被物1色。信能朝臣がこれを取る〕。この間、御正体は礼殿に懸け奉られる。三昧僧がこれの役〔開眼 供養の後、三昧僧が御殿に懸け奉る〕。次に御奉幣。終わって楼門に出御。回廊の外から礼殿御所に入御〔南面妻戸に御輿を準備する。御屏風を寄せ、合わせて 几帳(きちょう:間仕切り)を出す。この間、里神楽。宝前において順番にその役を勤める〕。

御灯明(とうみょう:神仏に供える火)。この次に敬白、御僧供(そうぐ:僧への供物)事とのこと。御導師〔山僧〕が敬白を終えて、布施を1裏お与えになる〔信能朝臣がこれを取る〕。次 に御誦経がある。御導師〔同。予が布施1裏を給う〕は、次に御経供養〔御導師、前もって法服を給う〕。

題名僧六口表白の間に予は逐電。私の奉幣の用意をする。先達・神職が合わせて準備の指図をする。ほんのわずかな時間で事が終わって帰参。すぐに布施を給う。

源宰相中将が被物1色を取り〔康定が手長(てなが:取り次ぎをする人)をする〕、これをお与えになる。信能朝臣が裏物を取る。
題名僧各1裏。信能・宗行ら朝臣、予・康定がこれを取る。

この度、上卿がいないためか。勧賞(かんしょう:功労をほめて、官位や物品を与えること)を仰られない。追々仰られるだろうとのこと。
次 に御神楽〔本社八女には前もって装束をお与えになる。舞曲3反の後、禄をお与えになる。唱人5人にも同じく禄をお与えになる〕。次に御加持がある〔御先達 が引率して参入〕。発願の事が終わって布施をお与えになる〔予らがこれを給う。30口の間、数反に及ぶ。各装束一具平裏に入る〕。引き終わって、各々座を 立ち、退出〔布施を引く。2行列居、対座〕。

次に御鉢を供えられる〔入御。僧供の上分は前もって礼殿の机上に置いてある〕。その儀式は御先達がまず証誠殿御鉢を取る。直ぐに進み、簾の下に参る〔このとき御拝がある。2反とのこと〕。すぐに持ち帰って三昧僧にお返しになるとのこと。机の上に置く。

両所〔先に西の御前、次に東の御前〕、その儀式は前と同じ。次に信能朝臣が被物1色を取り、別当にお与えになる。これは例の禄である。次に例時僧供(※時を定めて行う僧供)がある〔可能相待之由兼可仰云々〕。礼殿においてこれを引き、まだこれを引き終わらない以前に御退出。御所に御下りになる。

5月2日

二日、己丑(つちのとうし、きちゅう)、天気晴れ。
尋常の浄衣を着て御所に参る。

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(てつ)

2010.10.31 UP
2020.9.1 更新

参考文献