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伊作田稲荷神社(いさいだいなりじんじゃ)

和歌山県田辺市稲成町1124 伊作田村村:紀伊続風土記(現代語訳)

神威を恐れられた開扉の例無き古社

伊作田稲荷神社鳥居

 昼なお暗いコジイを主とする森がおごそかな雰囲気を醸し出している伊作田稲荷神社。正式名称は稲荷神社で、古い村名を付けて伊作田稲荷神社と称されます。

 古くは阿羅毘可大明神(あらびかだいみょうじん)と呼ばれ、江戸時代には稲荷大明神社と呼ばれました。古来開扉しないことが慣例となっている古社で、田辺藩の神社書上帳にも「開扉の例無之御神体知れ不申候」と書かれています。

伊作田稲荷神社参道

恐るべき神威

伊作田稲荷神社参道

 伊作田稲荷神社の神様は格別に神威を怖れられた神様で、『紀伊続風土記』にもその恐るべき神罰が記されています。

稲荷大明神社

 境内東西5町、南北4町
 本社(西が稲荷三所明神、東が熊野三所権現) 拝殿 籠所 摂社三社

 荒光の北1町にある。鎮座の時代は詳らかでない。古くは湊村に座していたのを後に今の地、岩城山に移したという。伊作田・糸田の両村の産土神である(永正15年の縁起というものがあるが、奇怪でつかみどころのないことが多く信用しがたい)。明応9年、元亀2年修造の棟札がある。

 元禄元年、朝鮮攻めのとき杉若越後守の息主殿が船十艘人数650人を率いて出陣しようとしてこの社に参詣し、その家臣黒坂某に命じて社人に開扉することを命じた。社人は辞して、古より開扉したことがないという。黒坂は許さず無理強いして開扉するとたちまち盲となった。

 また慶長10年、浅野左衛門佐が命じて当社の社木を伐らせた。社人は黒坂が盲となったことを述べて辞したけれども聞かず伐り取って船を造らせた。その年の8月に船が沖合で難破した。これによって左衛門佐は松千本を社地に植えさせて謝罪した。これにより人はさらに神威を恐れたという。

 神事は正月初午の日、5月5日、11月23日である。明応9年の棟札に神名を書いて阿羅毘賀大明神とある。荒光は地名で、その地に座すことからいうのであろう。

(※1町は約109m)

伊作田村村:紀伊続風土記(現代語訳)

伏見稲荷より由緒古く正しい稲荷神社

伊作田稲荷神社拝殿

 南方熊楠の随筆集『南方随筆』に収められた「紀州俗伝」には伊作田稲荷神社について以下のように記されています。

 田辺の近所の稲成村の稲荷神社は、伏見の稲荷より由緒古く正しいものを、むかし証文を伏見より借り取られて威勢がその下になったと言う。今も神林鬱蒼たる大社だが、この神はなはだ馬を忌み、大正二年夏の大日照りにも鳥居前で二、三疋馬駆(うまかけ)すると、翌日たちまち少雨降り、その翌日より大いに降ったと言う。しかしながら老人に聞くと、以前はこの鳥居前に馬場あって例祭に馬駆したと言う。そうであれば馬場がなくなってから、神が馬嫌いになったものか。

南方熊楠「紀州俗伝

伊作田稲荷神社の森と南方熊楠

 伊作田稲荷神社は南方熊楠がよく植物などの採集に出かけた場所で、年をとってからは娘の文枝に言いつけて採集に行かせ、時には地図を描いて目的のものの生育場所を示したとか。伊作田稲荷神社の森を熊楠は次のように記しています。

当地に近き稲成村の稲荷社の神林ごときは、幸いに今日まで大いに伐り取られず、ヨウラクラン、カヤラン、ミヤマムギラン、シソバウリクサ、ホングウシダ、シャクジョウソウ等多きのみならず、小生図するところの帽菌およそ四百ほどあり。粘菌中 Enteridium 属と LIndbladia 属は、実に別属にあらずして同一属たるを証し得べき標品なども、ここにて取れり。これも例の俗吏が神林を掃除せよと毎々命ずるので、腐葉土なくなり行き、毎年、樟や柯が枯れ行く。

松村任三宛 南方熊楠書簡、明治44年8月31日付

 伊作田稲荷神社は神威を非常に怖れられた神様でしたので、明治末期から大正にかけての神社合祀の嵐が吹き荒れる時期にもさすがに合祀されることはありませんでしたが、神社の基本財産を造成するという名目で森の部分的な伐採は行われました。

 大正3年(1914)4月27日付の『牟婁新報』に「稲荷神社伐採真相、当局者反省す」との見出しの記事が掲載され、その記事には、2町4段20歩ある神社林のうち7段5畝を一部択伐、一部皆伐し、シイを主とした計151本を伐採、伐採跡地にはスギ、ヒノキを植林したと記されています。
 続いて次号には「珍植物を保護せよ……南方熊楠先生談片……」との記事が掲載されました。

稲荷神林事件に就き南方先生の高説を聴くに

▲稲荷神社の柯の森林は本邦希有の珍品なり、紀州有田以北中国辺にかけて「しい」と称するは皆「マテバ柯」と呼び種類異にしてその実も味劣る。ちなみに椎は音スイなれば「しい」に宛てたる文字にて柯が正字なり。

▲その本当の柯の森林為せるは稲荷神社を措きて他に求むべからず、植物学界のために永く保護すべきなり。且つ余(先生)の目撃せる伐採地点には種々の珍植物に富み、イチヤクソウ△ヨウラクラン△コクラン△ホングウシダ△シャクジョウソウ△ミヤマムギラン等生育し居たるが、伐採の結果ミヤマムギランは遂に全滅せり、この植物は土佐及び那智の二箇所くらいにしか発見せざる珍品なりしなり。……

▲余は稲荷神林に就いては特に愛護すべき珍品多きを見、常に考え居れるは将来余が田辺を去るの時は、何とかして稲荷村当局に向い、珍植物の形態名称等より生育せる地点等を詳細に指導し置き、その後は村が責任を以てこれを愛護存続せしむる事としたきものなり。もし適当に発達せしむるを得ば将来汽車開通の暁は学術上の標品として最も高尚なる重要産物たるに足らん。……

▲なお南方先生は松田郡長の直ちに同村当局を召還して適当の方法を講ぜしめたる監督ぶりと、中根村長が早速過を改め伐採を中止し今後の軽挙無きを誓いたる誠意に対しては大に感謝の意を表せられ、場合によりてはかつて新庄村長を伴い神島の神林を視察指導したる如く、中根村長に向って稲荷神林の実地指導を試みたしと言明されたり。

「珍植物を保護せよ……南方熊楠先生談片……」『牟婁新報』大正3年4月29日付

 熊楠たちの抗議により伊作田稲荷神社の森のそれ以上の伐採は食い止めることができました。
 闘雞神社がそうでしたが、神社の森の伐採を企てた者が神罰を受けたかのように死ぬことが当時いくつもあったようなのですが、格別に神罰を怖れられた伊作田稲荷神社の場合はどうであったのか、その辺りのことはわかりませんでした。

 熊楠が「本邦希有の珍品」とした伊作田稲荷神社の森は、現在は周辺の開発のために林内が乾燥し、熊楠当時とは様子が変わってきていますが、それでもなお鬱蒼とした森は、熊野本来の森とはこのようであったのだとの思いを抱かせてくれます。伊作田稲荷神社の森は熊楠たちが熊野に残してくれたとても貴重な宝物です。

 下記は伊作田稲荷神社の森についての説明板より。

田辺市指定文化財(天然記念物)
 稲荷神社の森(昭和49年8月8日指定)

 この社叢の主要樹種はコジイで、全体の70~80%を占めている典型的なコジイ林である。森林は樹高13~15mの林冠をもち、コジイのほかにモッコク・タブノキ・ヒメユズリハ・モチノキ・ホルトノキなどの大木が混じっている。森林内にはタイミンタイバナ・サカキをはじめとする亞高木やセンリョウ・マンリョウをはじめとする林床植物が生育している。

 昭和初期には、さらに深い森林が残されていた模様で、南方熊楠・宇井縫蔵らの調査記録によると、ムギラン・カヤラン・ヨウラクラン・フウランなどの着生植物が多数発見され、当時の植物研究者から注目されていた。これら着生植物は霧湿りするような深い森林内の樹幹に生育する植物であることから、かつての状況を推測することが出来る。現在は、周辺開発のためか、林内は乾燥して二次林的な様相を帯びているが、市内の他の神社に比べて、残存自然林の面積が大きいこと、森林全体が安定方向に回復していることなどから、将来が期待され厳重に保全されている。

田辺市教育委員会

 伊作田稲荷神社由緒

伊作田稲荷神社境内

境内にある由緒書きより 。

伊作田稲荷神社由緒古伝

祭神
天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 保食神(うけもちのかみ)
稚産霊神(わくむすびのかみ) 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)

人皇第一代神武天皇生駒山の孔舎衛坂(くきえざか)より軍をかへし紀伊の国なる錦戸部土蜘蛛などの賊を征し給ふや伊作田の里人等馳せ参じて天皇の軍に加わり忠勤を励みて大功を樹てたり。

やがて天皇紀伊より大和に入らせ給ひ八十梟師(やそたける)を誅し長髄彦(ながすねひこ)を平らげ給いて大和を平定し橿原の地に宮柱太敷立て給い皇紀元年正月元旦(陽暦3月11日)御即位の大典を挙げさせるや伊作田の里人でもこれを慶祝し忠勤の意を表し岩城山に皇祖天照大神を初め奉り稚産霊神、保食神、倉稲魂神を併せ厳かに斎き奉り阿羅毘可大明神(あらびかだいみょうじん)と称へ奉る。

里人等夜毎に仕へ奉り業務に精励す為に五穀豊穣、伊作田の稲成る里とぞ云い侍るなり。

人皇第四十三代元明天皇和銅四年二月二十一日(西暦72年)この日即ち初午なり山城国紀伊郡の伏見稲荷山三峯に倉稲魂神鎮座給いてより山の名を以て稲荷大明神と仰ぎ奉る。

この縁によりて 人皇第百七代正親町帝元亀年中(西暦1570~1573)に伊作田阿羅毘可大明神の御名を伊作田稲荷大明神と改められる。

祭日

1月1日 歳旦祭    6月30日 大祓式
1月6日 前衣祭   12月7日 鎮火祭
1月7日 例大祭   11月25日 秋祭
1月15日 年神祭   12月30日 大祓式
2月11日 建国祭   毎月7日 月次祭
2月二ノ午 初午祭   11月1日 大神宮祭
3月春分 春祭     下村地主神祭
4月3日 雛祭   12月第1日曜 日吉祭 糸田
4月7日 児童入学奉 祭   12月 日 日吉祭 下村
5月5日 御田植祭  
天王祭
      1月15日 住吉(社)祭

(てつ)

2010.6.14 UP
2010.6.15 更新
2021.2.28 更新

参考文献

伊作田稲荷神社へ

アクセス:JR紀伊田辺駅から車で約5分
駐車場:駐車場あり

田辺の観光スポット