| 祭神: | 第1殿 素盞嗚尊 |
| 第2殿 伊弉册尊・速玉男尊・事解男尊 | |
| 第3殿 伊弉諾尊 |

平野郷の氏神として木立の中に鎮座する、中規模ながら(といっても大阪市内の神社としてはたいへん立派な神域規模を誇ります)境内・外に合計11の摂・末社を数える、ととのったかまえの神社です。
鳥居や本殿、拝殿は南向きで、鳥居にかかる絞め縄には、那智大社と同じような照る照る坊主型の「〆の子」が下がります。平安の初期、坂上田村麿の子広野麿が杭全荘を荘園として居をかまえ、その子当道が862年に氏神としてスサノヲ尊を祭る祇園社(牛頭天王社:現第1殿)を建てたのがはじまりとされています。
1190年、熊野證誠権現(ショウセイゴンゲン:イザナギ尊)を勧請建立したのが現第3殿、また、1321年、熊野三所権現(イザナミ尊・速玉男尊・事解男尊)を勧請建立したのが現第2殿で、このとき時の後醍醐天皇より「熊野三所権現」の勅額を賜ったとのことです。現在の第1殿は、奈良の春日大社の社殿を1711年に移したもので、第2殿・第3殿は1513年修造の大阪市内で最古の建物とされ、3殿とも国指定の重要文化財とされています。明治になって、社号が杭全神社と定められ本来の祇園社(第1殿)が本社と定められました。このためか、本殿3棟のうち左端の第1殿のみに鳥居が向かいます。
また、拝殿は、3棟の本殿のうち中央にある第2殿(熊野三所権現)に直接向かう形になっています。同神社では、現在も牛王方印護符を授与されているとのことです。
杭全神社は、現存する唯一の連歌所を持つ神社で、現在も連歌に非常に力を入れておられ、月1回の連歌会が開かれています。現在、定期的に奉納連歌が開催されているのは、当杭全神社のほかは福岡県行橋市の須佐神社だけとのことです。同神社では、連歌会を中心にしたHPも運用されています。連歌に興味があり、もっと詳しくお知りになりたい方は杭全神社のHPへ。
![]() 第1殿:牛頭天王 |
![]() 第2殿:熊野三所権現 |
![]() 第3殿:熊野證誠権現 |
![]() 拝殿 |
![]() |
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Thanks ZOUさん
2001.3.17 UP
No.42
杭全神社のHPに記載されていた由緒が興味深いものでしたので、ご紹介します。
ある日、笈を背負った山伏が来て「この笈のなかには後鳥羽院がお彫りになった有り難い熊野證誠権現の尊像が包まれています。牛頭天王と並べて一緒にお祀りすれれば、この地を守り、いつまでも繁栄するでしょう」と告げた。
しかし、お宮では山伏のいうことを信用せず、山伏は怒って去ってしまう。そのとき、山伏はお宮から少し離れた場所にあった一本の松の木に背負っていた笈を懸けて行った。
その夜のこと、この松から光が射して来た。翌朝、行ってみると、一夜のうちに梛の木が三本生えて、その木に三羽の烏が住みついていた。
不思議に思った町人が、松に懸けてあった笈を開けて見ると、中に立派な尊像が包まれていた。これは紛れもなく熊野證誠権現の尊像だと敬い、光の射した場所に祭壇を新しく設けてお祭りした。
そのときから、ここでは梛の木を神木とし、烏が神様の使鳥になった。尊像は今でも第三殿にお祭りしている。というようなものでした。
梛の木は熊野権現のご神木、八咫烏は熊野権現のお使いです。
熊野證誠権現の尊像は、役小角(えんのおづぬ)の作という説もあるようです。(てつ)