
| 【祭神】菅原道眞 (配祀)武甕槌神・天兒屋根命 比ME大神(MEは「口」偏に「羊」) 經津主命 (合祀)品陀別命 【例祭】10月10日 例大祭 |
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堀河天皇の寛治四年正月(約九百年前)、白河上皇熊野御幸の帰途、隣地の別野村の田中に白蓮の咲いているのを御覧になって、同所に熊野神社を祀ろうとして暫く当所に蹕を駐め給うていた際に、本地人民が今の有真香の土生滝の意賀美神社を産土神と仰いでいて、其の遠くへだたっているのを憂いて、衆議の上源俊頼卿に依って鎮主の神を祀ろうとして願い出たところ、聴許あらせられ天満天神を祀るべしとの御意を下し給うた。 依って里人は大いに喜び俊頼卿に従って上洛し其の旨を北野天満宮に伝え、其の分霊と道真公真筆の法華経とを受け帰り、同年八月二十一日、上皇御駐蹕の祉に社殿成って祀ったのが、即ち当社の起源であると伝える。 明治五年村社に列し、同三十五年十月八日、字樫の村社八幡神社(品陀別命)を合祀し、同四十一年一月、神饌幣帛料供進社に指定され、同年十一月十一日、字山下の山下八幡社を合祀した。 この合祀した山下八幡社は、岡部美濃守宣勝の当社隠居所に引移って後、土用中虫干の具足、座敷に飾ってあったところ、首に輪のある山鳩(俗に八幡鳩ともいうもの)二羽来て宵の八幡座に留まったので、武運の吉瑞であるとして喜び、程なく鳩の飛び立って留まった所を見届けさせ、其の地に社殿を建て八幡宮を勧請したのが即ち此の八幡社であって、社領三町二反一畝十三歩を寄せ、八幡山感応寺を宮寺となし、これに二十石を寄せて、例年八月十五日放生令を執行して来たのであるが、明治五年神仏の分離によって寺は廃絶し、社は村社に列して来たのものである。明治四十一年十一月十一日に当神社に合祀になった。 |

〜 土生神社宮司阪井健二さん 〜

Thanks 神奈備さん&阪井さん
2003.4.25 UP
2004.1.4 更新
No.176