熊野神社は、境内に新宮寺文殊堂という寺院があり、神仏混淆の時代の名残を残しています。
名取老女により勧請されたこの神社は、かつては、青森県の恐山などと並び、東北地方の一大聖地として扱われていました。
現在でも、地元を初め、他県からの参詣者も訪れています。
【御祭神】
速玉男大神(はやたまおのおおかみ)
伊邪那伎大神(いざなぎのおおかみ)
事解男大神(ことさかのおのおおかみ)
【御縁起】
当神社は、熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し熊野神社と称号する保安4年、今を去る 874年前名取老女紀洲熊野は遠隔の地とて奥羽の人々親しく参詣の望を遂げ難きを憂い人皇74代鳥羽天皇の神勅を拝しこの霊地に分霊奉斎致しました。
以来奥羽鎮護の神として国民崇敬の中心となり18の宿坊に宿し日夜法鼓の響き絶え間なく参拝者を増しつつあり崇徳院の御宇 826年前紀洲熊野の山伏松島、平泉の勝を探らんと一夜を熊野の証誠殿に参篭した夢枕に熊野大神汝等奥洲に至らば老女にこれを与えよと、和歌「道遠し 程もはるかに隔たれり思ひおこせよ我も忘れじ」奥洲に下り老女を尋ね事の由を告げたるに恭敬礼拝を重ね有り難さの余り両袖を涙でぬらされた。
以後、文治5年(810年)前源頼朝公奥羽東征の際武運を祈願せられ軍に赴き霊験功を奏し、帰途7月10日請願成就報斎のため本殿前に松樹を手植えし、亦自筆の御判物等今に保存せられています。
その後伊達政宗公4代の祖植宗公以来23代の歴代の藩主神田神領の御寄進等崇敬の深かったことは古文書で明白であります。如斯神社の祭祀維持管理に至るまで統べて藩主にて行われました。
尚、神社の古代神楽は古事記の内容を基本にした素朴な舞で社家世襲により伝承されており、毎年春4月19日、秋9月9日の大祭に奉納されております。
大正10年8月27日郷社に昇格、歳月と共に郷人の崇敬益々厚く信徒の数を増加しつつあり、昭和10年11月1日縣社に昇進今日に及べり。奥院本殿は江戸初期の熊野造りとして貴重な建物。 |