崖っぷちに玉垣がつくられていて、参拝所めかしく仕つらえられている。沖縄で言えば拝所(ウガンジョ)である。沖縄では神社(御岳(うたき))は古神道どおり社殿をもたない。この熊野の河内神社もそうであった。
崖っぷちの槙の樹のあいだから川をのぞいてみると、なるほど川が岐(わか)れて、形態として河内を為している。瀞(とろ)の青みはまことに碧潭というにふさわしく、その青い流れに洗われて河中に一個の岩礁が盛りあがっている。
その岩礁が、どうやら神の憑代(よりしろ)になっているらしい。古代シャーマニズムが、古代形態のまま息づいているというのは、日本でもめずらしいといえるのではないか。
文献によると、憑代であるこの岩礁の神の名は、スサノオノミコトであるという。韓神(からがみ)である。韓神だからこの地域に朝鮮から渡来したひとびとが住んでいたというのではなく、この祭神は平安期の流行神(はやりがみ)だったからに相違ない。
本来、神に名などはなかった。 河の中の奇礁だから神が宿るにちがいないという古代の形而上的意識がこの岩礁を神聖視するにいたったに相違なく、この岩礁はこの宇宙に一つきりしかないから名などつける必要がなかったのである。
(司馬遼太郎『熊野・古座街道、種子島みちほか 街道をゆく (8)』
朝日文芸文庫、96頁より引用)