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室根神社:岩手県一関市室根町折壁字室根山2

千葉さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

養老2年(718年)に熊野本宮から室根山に勧請


一ノ関・田村家所蔵の室根神社祭り絵図(マツリバ行事)
(クリックするとお仮宮が拡大されます)

(旧東磐井郡室根村折壁字室根山2)

国重要無形民俗文化財・室根神社大祭

栄一の仮説 室根神社大祭

 室根神社が勧請されたのが718年であり、祭事が始まったのが726年からとされ、勧請されて11年目からの祭事である。

 また、新宮が勧請されたのは、本宮勧請から595年後である。(室根神社大祭記より)その間は、本宮1社のみであり現在の祭りで見られる、本宮、新宮の御輿先着争いはあり得なかったであろう。このことから現在の形態は、両宮が揃った1313年以降に葛西公が作り上げたものであろう。

 本宮勧請から11年後に祭事が行われ、しかも今の形態に近い状態の祭事であったなら、どのような形だのだろうか。

仮説

 本宮勧請の(天皇に替わって任務する)は、紀州の出身者であり、湯浅権太夫玄晴は勧請後もこの地に残っている。また、その他の神使等もこの地に残り神に奉仕した。

 熊野本宮大社の例祭には室根神社大祭と類似する式態は見られない。

 速玉大社(新宮)を訪れた際に宮司から、「室根大祭を拝見した際、速玉大社の祭りと酷似する点が幾つか有り、室根神社の勧請は、新宮の速玉大社ではなかろうか?と感じた」と話された。

(勧請そのものは、本宮大社であることには間違いないことから、祭りの形態を取り入れたと想定したほうがよいのでは)

-速玉大社の祭りの中で、見られる室根大祭と似ている点-(HP熊野速玉大社より)

御神馬、御神馬への豆献上の儀、お旅所(仮宮)

 湯浅氏ほか勧請に関わった紀州人は、神社祭りを始めるにあたり、速玉大社の祭りを取り入れ、この地に合った祭り形態を作ったのでは?

 速玉大社は、世紀初め神倉山に降臨し、景行天皇時代(西暦不明、西暦400年以前)に現在の地に移され、神倉山の旧宮に対し、新宮(にいみや)と呼ばれるようになった。

 室根神社勧請の718年頃には、すでに現在の祭り「神馬渡御式」等が行われており、それを取り入れした可能性が高い。

 一ノ関田村家所蔵に室根神社祭りの絵巻があり、その絵から判断すると、今の仮宮ほど高さは無いように思われる。(新宮速玉大社祭りのお仮宮も絵巻と同様に低い。)

祭りの形態は、地頭の指示により変遷はあったであろう。1313年に新宮を勧請し、室根神社は2社になったことにより、祭りの形態はこの時期から2つの御輿の先着争いと大きく変化したのではないだろうか。

 当初は、村田家所蔵の絵巻にみられるような、低いお仮宮であったのが、いつの時期からか今に伝わる高さの仮宮に変化したものと推される。

 よく、仮宮の構造と青森県山内丸山遺跡の巨大柱群建造の古代文化と結びつける話も聞かれるが、いま見られている仮宮は、おそらく近世の構造であろう。

大祭時の新宮に関わる神役の創設…

 新宮が勧請されたことに伴い、祭りに関わる神役も新たな創設となる。

 本宮神役については、勧請に関わった子孫がそのまま継承したことであろうが、「新宮神役は新たに葛西氏に取立てられ、おもに院中、坊中からの起用となる。」(室根神社大祭記より)

過去の調査記録から見る主な新宮神役(室根神社大祭記より)

新宮大先司、      遠藤氏、佐藤氏(院中、葛西没落後衰えた神事再興)

御先祓、長刀振(両宮) 新宮勧請年から葛西公より取立てられ

新宮陸尺        天台宗坊中の子孫が取り立てられた。

その後両宮陸尺     本宮勧請時に関わった陸尺は、釘子郷民だけであり、その後葛   

            西公に取立てられ、大東町曽慶、大原、千厩町奥玉の郷民が加  

            わり、その数は合わせて1200人と言われた

室根神社大祭記に記述されている中での疑問

 大祭記の中で「紀州牟婁郡音無河と申す所よりお舟にて…」また「音無川を越え…・」とあり、熊野本宮大社旧社殿跡地は、熊野川、音無川の中州の位置にあり、すぐ隣接して大河熊野川があるのにどうして音無川を使用しなければならなかったのか。その航跡に不明なものがあった。

 平成15年度に行われた友好提携20周年記念訪問にて、旧社殿跡地を見学し、それが解決された。

1,そもそも本宮大社のある地区は「音無の里」と呼ばれていた。

2,旧本宮大社境内隣接に熊野川が流れているが、正面参道は熊野川の反対側にあった。

3,境内直前の参道に音無川が横たわり、川を渡って神社に入る地形である。

 (境内に入るとき川を渡り、草鞋を清めるため橋は無かった)

 このことから、分霊は境内から参道に出て正面音無川に入り、舟出したものと理解できた。(境内から正式ルートで)

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(千葉さん)

No.170

2003.12.15 UP
2020.5.26 更新

参考文献



岩手県一関市室根町折壁

読み方:いわてけん いちのせきし むろねちょう おりかべ

郵便番号:〒029-1201

一関市HP

一関市 - Wikipedia
一関市(いちのせきし)は、岩手県の最南端に位置する市。