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南紀熊野観光塾の「地域資源を知る」ツアーのための原稿(本宮)

熊野本宮大社、大斎原、真名井社

2013年9月7日(土)から8日(日)にかけて行われた南紀熊野観光塾の「地域資源を知る」ツアーでガイドするために書いた文章の一部です。(2日目の分の原稿はこちら
現地でガイドする時間があまりなく、バスの中で話をしてくださいということだったので、長めに話すつもりで用意しました。

熊野本宮大社

 熊野本宮大社は、古くは「熊野坐(くまのにます)神社」という名で呼ばれていました。熊野にいらっしゃる神様のお社という意味です。とてもわかりやすくて、いい神社名です。熊野三山のひとつで、新宮・那智とともに全国に5000社ほどあるであろう熊野神社の総本宮です。

 昨年、NHKの大河ドラマで「平清盛」が放送されましたが、その清盛の時代というのは上皇による熊野詣が盛んに行われた時代です。
 「平清盛」はとてもすばらしいドラマでした。あの時代をあそこまで丁寧に描いたドラマというのはこれまでなかったと思います。熊野のこともちょこちょこ出してくれて、熊野的にもよいドラマでした。 
 伊東四朗が演じた白河上皇が9回、三上博史が演じた鳥羽上皇が21回、松田翔太が演じた後白河上皇が34回、待賢門院璋子(壇れい)が12回、美福門院得子(なりこ 松雪泰子)が4回、建春門院滋子(成海璃子)が4回。平清盛重盛維盛信西(阿部サダヲ)や西行も熊野を詣でています。

 後白河上皇は上皇として最多の34回の熊野詣を行いましたが、『源平盛衰記』によると、本宮へは34回訪れていますが、新宮那智は15回です。
 京から本宮がいちばん近いという理由もありますが、新宮と那智を略して本宮だけを詣でて熊野詣を済ますこともしばしばあったことからも、本宮が熊野三山の中心とみなされていたことがわかります。

 なぜ上皇達がこれほどまで頻繁に熊野を詣でたのか。その理由ははっきりとはわかりませんし、いくつか複数の理由もあったのでしょうが、いちばんの理由はおそらくは極楽往生を願ってのことだろうと思います。当時、熊野三山は神仏習合、神様と仏様を一体のものとした霊場でした。

 明治時代に神仏分離が行われる以前、熊野は神仏を一体のものとして祀っていました。本宮の神様の本体は阿弥陀如来、新宮は薬師如来、那智は千手観音とされました。本宮が阿弥陀如来の西方極楽浄土、新宮が薬師如来の当方浄瑠璃浄土、那智が千手観音の南方補陀洛浄土と見なされ、熊野全体が浄土の地とされました。

 とくに本宮は阿弥陀如来の極楽浄土とみなされたので、極楽往生を願う者達の聖地となりました。本宮の主祭神を祀る社殿は「証誠殿」と呼ばれました。誠を証明する社殿。念仏する者の極楽往生を証明する社殿という意味で、そこに参詣すれば極楽往生が確実になるとされました。

 清盛の時代は院政が行われていました。天皇が子供に位を譲って上皇となって、その上皇が政治の実権を握るという政治のやり方です。院政期の上皇は最高権力者で日本で最高のこれ以上ないというよい生活をしていました。だから来世のことが心配だった。今はとてもよい生活をしているけれど、来世どうなるのか。白河院は晩年、殺生禁断令を出しました。動物を殺してはいけないという命令で、魚を捕らえる網を焼いたりした。来世のためによい行いをしようとした。後白河院も、願うは極楽往生というようなことを『梁塵秘抄口伝集』に書いています。
 熊野詣は極楽往生を願ってのもの。多分そういうことなのだろうと思います。その他に金属資源とか、山伏の情報ネットワークとか、水軍の軍事力とか、他にも理由はあるのでしょうが。

 熊野の神様のことを熊野権現といいますが、権現とは仮に現われるという意味。何が仮に現われたのかというと仏様。仏様が仮に神様の姿で現われた、それを権現といいます。
 神道と仏教という異なる宗教を融和させる神仏習合という信仰形態は明治政府により価値のないものと否定されましたが、いま、異なる宗教を融和させる精神性というものが価値のあるものになっているのではないかと思います。

 本宮の主祭神はケツミコノカミ。ケは古語で食物を意味するので、ケツミコは食物の神だろうという説が一般的だったようですが、どうもしっくりこないな〜と私は思っていました。
 江戸時代にはケツミコはスサノオノミコトと同じだとみなされましたが、それは本宮の神が阿弥陀如来で、極楽浄土とスサノオが住まう根の国が結びついてスサノオと同じだとされたようです。

 ケツミコは食物の神というのはしっくりこないな〜とずっと思っていたのですが、最近読んだ松原右樹さんという和歌山県の民俗学者の方の本の中に、ケツミコはケの神様であるというのがあって、なるほどと思いました。

 ケというのは今でいう気。気力とか気持ちの気。生命エネルギーのようなもの。ケという生命エネルギーが枯れるとケガレた状態になる。ケは枯渇するものだから時々、ケのエネルギーを充填して元に戻さなければならない。そのためにケの神様のおわす熊野を詣でる。

 熊野は蘇りの地、再生の地といわれますが、まさに熊野にぴったりの神様です。新たなケを得られることに熊野詣の意味がある。熊野というのはエネルギーチャージの場。

熊野本宮大社

大斎原

 熊野本宮大社は明治22年(1889年)8月の水害時まで熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる中洲にありました。
 2年前の台風12号で紀伊半島は大きな被害を受けましたが、本宮地区でも建物の1階の天井付近やあるいは2階の床上まで水没するような水害がありました。
 このときよりも明治22年の水害のほうが3、4mも高く水が出て、大斎原にあった本宮は大きな被害を受けました。
 当時、大斎原には熊野十二所権現と呼ばれる12柱の熊野の神々を祀る社殿があり、他にいくつかの境内摂末社や、神楽殿や能舞台などもあり、現在の本宮大社の8倍の規模がありました。

 水害から2年後の明治24年(1891年3月)に現在の高台に遷座し、現在、大斎原には2基の石祠があるだけですが、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇、待賢門院璋子、美福門院得、建春門院滋子、清盛、重盛、維盛、信西、西行が詣でたのは大斎原です。一遍上人がある種の悟りを開いたのも大斎原です。

 聖地には2通りあります。ひとつは神様が降臨した場所。もうひとつは神様に対して人が祈りを捧げる場所。熊野三山は、はからずも、三山すべてにその2通りの聖地があります。本宮大社と旧社地大斎原、那智大社と那智の滝、速玉他社と神倉神社。

 神様が降臨した場所というのはわかりにくく行きにくくなっている場合が多いようですが、熊野三山でははっきりとしています。ですので、熊野三山をお詣りするときはぜひ人が祈りを捧げる場所だけでなく神様が降臨した場所のほうもお詣りしてください。

 境内には南無阿弥陀仏の石碑(一遍上人神勅名号碑)が建てられています。昭和46年に時宗寺院の手によって建てられたものです。

 時衆というのは鎌倉時代に起こった新仏教にひとつ。その開祖、一遍上人が本宮に籠ってある種の宗教的な悟りを得て起こった時衆は起こりました。一遍上人自身が「わが法門は熊野権現夢想の口伝なり(私の教えは熊野権現が夢で伝えてくれたものである)」と述べています。一遍上人の興した時衆が庶民に熊野信仰を広めてくれて、「蟻の熊野詣」といわれるような熱狂的な熊野ブームを巻き起こしました。

 神社の境内に南無阿弥陀仏の碑があるというもすごいことです。
 熊野本宮大社はここで毎月23日、時宗開祖一遍上人月例祭を行っています。

 大斎原にある南無阿弥陀仏の石碑は、昭和に建てられたものですが、熊野が神仏を一体のものとして信仰していたことを示す痕跡です。このような神仏習合の痕跡に触れるということは、かつて異なる宗教が融和していたことという世界的にはあり得ないことが日本では行われていたということを教えてくれるものなので、非常に価値のあることなのではないかと思います。

 熊野信仰を全国に広めたのは、神主ではありません。平安時代には山伏であり、鎌倉室町の頃は時衆という鎌倉新仏教の一派の僧侶であり、戦国時代から江戸時代にかけては熊野比丘尼という女性宗教者です。

 熊野古道は世界遺産になりましたが、熊野古道のすごさは異なる宗教の聖地を巡礼の道が結んでいるという点にあります。真言宗の高野山、修験道の吉野、同じ神道とはいっても熊野とはまるで違う伊勢。キリスト教とイスラム教の聖地を結んでいる巡礼道なんてないですよね。プロテスタントの教会とカトリックの教会を結ぶ巡礼道なんてないですよね。世界的にはありえないことが日本では行われた。これはすごいことです。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

真名井社(まないしゃ)

 真名井社。真名井は神聖な水の湧く井戸という意味。井戸が御神体の神社です。御祭神は天村雲命(あめのむらくものみこと)。

 熊野本宮大社の末社で、4月13日から15日の3日間かけて行われる熊野本宮大社の例大祭では、ここで3回神事が執り行なわれます。4月13日の「湯登神事」「宮渡神事」、4月15日の「渡御祭」。
 また1月7日の本宮大社の八咫烏神事では、ここの水が使われます。

 熊野本宮の祭りや神事は真名井社なしには成立しません。真名井社は熊野本宮にとってとても重要な場所です。
 本宮の神の最初の降臨地との説もあります。

 真名井社は、土地の人には閼伽井(あかい)さんとも呼ばれますが、閼伽とは仏様に供える水のことをいいます。閼伽井で仏様に供える水の湧く井戸ということです。真名井にしろ閼伽井にしろ神聖な水の湧く井戸ということです。

 真名井社のある谷は現在でも「あかいだに」(漢字で書くと今は、閼伽井谷ではなく赤井谷)と呼ばれています。神仏習合の聖地であった熊野らしい地名です。

 神聖な水で世界的に有名なのはルルドの泉ですが、ルルドの泉が聖地となったのは19世紀後半。それよりも遥かに古い歴史を真名井社は持っています。

 聖なる水の信仰は熊野信仰の底の部分にあります。
 那智の滝の水は飲むと延命を得ると言われ、湯の峰の湯はあらゆる病いを治癒すると言われました。
 京からの参詣者が最初に出会う熊野から流れる川である岩田川の、聖なる川の流れは強力な浄化力をもち、川を徒歩で渡ることで罪業をぬぐいさることができるとされました。

真名井社

(てつ)

2013.12.20 UP
2021.5.12 更新

参考文献