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一遍上人名号碑の写(いっぺんしょうにんみょうごうひのうつし)

和歌山県新宮市熊野川町日足 日足村:紀伊続風土記(現代語訳)

時宗開祖一遍上人の名号碑を模写した磨崖

一遍上人名号碑の写

 南北朝から室町時代にかけて熊野信仰を盛り上げていったのは修験道でもなく神道でもなく、時衆(のちに時宗)という仏教の一派でした。
 時衆とは、一遍上人(いっぺんしょうにん。1239~1289)を開祖とし、鎌倉中期から室町時代にかけて日本全土に熱狂の渦を巻き起こした浄土教系の新仏教です。

 時衆はのちに衰退し、熊野でも現在はかすかにその痕跡を残す程度になってしまいましたが、 その痕跡のひとつが新宮市熊野川町日足(ひたり)、万歳峠(ばんぜとうげ)近くにある一遍上人名号碑です。

 新宮市熊野川町志古(しこ)のジェット船乗り場の駐車場から道幅の狭い道に入り、車を走らせると、一遍上人名号碑へ向かう途中に「一遍上人名号碑の写」と書かれた案内板があります。

    町指定文化財

       一遍上人名号碑の写

”阿弥陀仏の十劫正覚に一切衆生の往生は、南無阿弥陀仏と決定する所なり。信不信をえらばず、浄不浄をきらわず、其札をくなるべしとしめし給う。”一遍聖絵から
一遍上人は伊予の国の人で、比叡山で修行の後諸国を歴し、熊野本宮の証誠殿に参籠して悟るところがあり、時宗の開祖となった人です。
その一遍上人が建てたと伝えられる「南無阿弥陀仏」名号碑は、ここから約1km程登った所にあり、和歌山県から文化財に指定されています。
ここの磨崖はその名号碑を模写したものです。
壁面の説明文を左のように読みとりました。
元祖之真蹟当峰二基共破損○五十二主修補之亦損壊余歎之草名之石埋蔵、行名下而守廃、夫二数之一写、是伝後代
  温石之?弟応知
         遊行五十六主他阿庸陀仏識
         文政十年次丁亥六月吉祥旦
文政十年(一八二七年)遊行五十六世が元祖一遍上人の真?が損亡するのを心配して写しとって、此の岩に刻み?けて私達に残してくれたものです。
右の説明文によると、この萬歳峠には草字行字の二基の名号碑があったようです。ひとつは現存の場所でしょうが、もう一基は峠のあたりだったのでしょう。

熊野川町教育委員会

 ○は原文のまま。?は私が判読できなかった文字です。

 さて、案内板はあるけれども、その「写」なるものがどこにあるのかわかりません。案内板の付近にはそれらしい岩は見当たらず、探してみると、車道下、草が茂ったなかに道らしきものがあります。そこかと思い、歩いてみるとやはり道があって、道を下りてみるとすぐそこに文字が刻まれた岩がありました。

一遍上人名号碑の写

 新宮市熊野川町志古からここまでは車で10分程度だったでしょうか。ここからさらに5分ほど行くと「写」の元となった本物の一遍上人名号碑があります。
 一遍上人名号碑とその写し。道幅が狭いので車の運転に自信のない方にはおすすめしませんが、一遍上人が好きな方にはぜひ訪れていただきたい場所です。

 一遍上人名号碑は湯の峰温泉にもあります。

一遍上人ファンサイト

(てつ)

2006.10.27 UP
2020.8.18 更新

参考文献

一遍上人名号碑の写へ

アクセス:新宮市熊野川町志古から林道を行く(地図は大体の位置です。おそらくこの辺りだったと思うという程度のもので正確なものではありません)。
駐車場:駐車場はないが、駐車スペースあり