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南方熊楠「この風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ」

この風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ

外国人観光客

田辺でも、「働いて儲けよ」と教えているが、ここらで働いてナニが儲かるか朝から晩まで働いてもナニほどの儲けもない。まず働いて儲かっているのは監獄位のものだ。商売は同商売が多く工業も盛んでなく、今の所格別これぞという儲け口もあるまい。

ただこの「風景」ばかりは田辺が第一だ。田辺人たるものはこの風景を利用して土地の繁栄を計る工夫をするがよい。今こそかように寂しいが追々交通が便利になってみよ、必ずこの風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ。

ー 「菌類学より見たる田辺及台場公園保存論 (七)」『牟婁新報』大正5年(1916年)7月14日付

 南方熊楠は、自分が暮らす田辺の町の人々に「田辺人たるものはこの風景を利用して土地の繁栄を計る工夫をするがよい」と訴えました。「今こそかように寂しいが追々交通が便利になってみよ、必ずこの風景と空気が第一等の金儲けの種になるのだ」と。

 熊野信仰が盛んであったときには熊野の入口として大勢の人々が訪れた田辺ですが、熊野信仰の衰えにより訪れる人も少なくなった状況のなかで、この地域は「風景」で繁栄することができるのだ、 風景と空気で金儲けしろ、ここの美しい風景と空気にはそれだけの価値があるのだ、と熊楠は主張したのです。

 風景だけでなく空気も金儲けの種になると熊楠が主張できたのは、熊楠が19世紀末のロンドンの大気汚染を経験してきたからでしょう。イギリスでは産業革命以降、石炭を大量に使うようになり、空気は汚され、呼吸器疾患などの健康被害も発生していました。

 熊楠が夢見たのは、田辺の町を持続可能な観光地にすることでした。

 風景を壊さず、空気を汚さず、地域にある自然や人々の暮らし、歴史、文化、この地域ならではの価値あるものを保全しながら観光資源として活用して地域経済を潤す、持続可能な観光地として田辺の町が豊かになることを熊楠は夢見ました。

 この熊楠の訴えから90年後、2006年(平成18年)に田辺市の総合的な観光をプロモーションする「田辺市熊野ツーリズムビューロー」という任意団体が設立されました。

先にも述べたとおり、田辺市は「世界遺産」という素晴らしいブランド力を持つ観光資源を有しています。今後は、「保全」と「活用」のバランスを保ちながら、やはりこの「世界遺産」を核として、従来から存在する観光資源をブラッシュアップするとともに、「ヘルスツーリズム」や「エコ・グリーンツーリズム」など魅力ある旅行商品の開発、さらには「食」や「歴史」「文化・芸術」といった新たな地域素材の発掘にも注力し、百年先、千年先を見据えた「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」を目指して取組を進めていこうと考えています。

設立経緯 – 田辺市熊野ツーリズムビューロー

 田辺市熊野ツーリズムビューローは2010年(平成22年)に旅行業開業のため法人格を取得して一般社団法人になり、外国人観光客に向けての着地型旅行業を始め、田辺市を「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」にするための取り組みを進めました。

 その取り組みは成果を上げつつあり、世界的旅行ガイドブック「Lonely Planet(ロンリープラネット)」の「BEST IN TRAVEL 2018」では紀伊半島が「訪れるべき世界の10地域」で第5位に選ばれ、世界的宿泊予約サイトAirbnbでは「2019年に訪れるべき19の地域」で和歌山県が日本で唯一選ばれ、国内最大級の外国人向け情報サイト「GaijinPot(ガイジンポット)」では「2020年外国人が訪れるべき日本の観光地ランキング」で熊野が1位に選ばれました。

 現在では熊野古道を歩く旅行者は日本人より外国人のほうがはるかに多いように見受けられます。田辺市や熊野に多くの外国人旅行者が訪れるようになったのは田辺市熊野ツーリズムビューローのおかげです。

 田辺市熊野ツーリズムビューローが一般社団法人になった法人設立日は2010年の5月18日。5月18日は奇しくも熊楠の誕生日です。熊楠の誕生日は1867年5月18日(江戸時代最後の年である慶応3年の4月15日)。熊楠の143回目の誕生日に田辺市熊野ツーリズムビューローは一般社団法人になりました。熊野の大恩人である熊楠に敬意を払ってのことか、それとも偶然なのか、わかりませんが、偶然だとしたら、なんという素敵な偶然かと驚かされます。

 田辺市が目指す「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」は、今から百年ほど前に熊楠が夢見た地域の未来です。

(てつ)

2024.5.3 UP

参考文献