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南方熊楠「近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおる」

近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおる

御承知ごとく、殖産用に栽培せる森林と異り、千百年来斧斤(ふきん)を入れざりし神林は、諸草木相互の関係はなはだ密接錯雑致し、近ごろはエコロギーと申し、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出で来たりおることに御座候。

ー 川村竹治宛書簡、明治44年(1911年)11月19日付『南方熊楠全集』7巻

 南方熊楠は神社合祀反対運動の中でエコロギー(Ecology、エコロジー)という言葉を使いました。

 ご承知のように殖産用に栽培している森林と異なり、はるか昔から斧を入れていない神林は、諸草木相互の関係がはなはだ密接錯雑しており、近頃はエコロギーと言って、この相互の関係を研究する特種専門の学問さえ出てきているのです。

 熊楠は和歌山県知事川村竹治に宛てた書簡で、エコロギーという言葉を使って熊楠は神社の森の大切さを訴えました。

 エコロジーという言葉はドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルの造語で、1866年にヘッケルが著書の中で使ったのが最初とされます。生物と生物が相互に影響を与えあう、生物と周りの環境とが相互に影響を与えあう、その関係を研究する生物学の中のひとつの分野です。日本語では「生態学」と訳されます。

 エコロジーには現在別の意味もあり、それはアメリカの化学者エレン・スワローが1892年に講演の中で提唱したことに始まるとされます。環境保全を目指した社会運動としてのエコロジーです。

 熊楠が神社合祀反対運動の中でエコロジーという言葉を使ったのは1911年以降ですが、熊楠は社会運動としてのエコロジーはおそらく知らなかったのではないかと思われます。熊楠が使うエコロジーには生態学の意味しかありません。

 熊楠の頃、エコロジーはまだ黎明期にありました。エコロジー(生態学)にとって基本的な概念であるエコシステム(Ecosystem、生態系)という言葉すらまだない時代でした。エコシステムという語は1935年にイギリスの生態学者アーサー・タンズリーの論文に初めて現われます。

 『南方熊楠全集』のなかに収められた文章の中で熊楠がエコロギー(エコロジー)という言葉を使っているのは、もう一ヶ所。

実に世界に珍奇希有のもの多く、昨今各国競うて研究発表する植物棲態学 ecology を、熊野で見るべき非常の好模範島なるに、……終にこの千古斧を入れざりし樹林が絶滅して、十年、二十年後に全く禿山とならんこと、かなしむにあまりあり。

ー 柳田國男宛書簡、明治44年(1911年)8月7日付『南方熊楠全集』8巻

 ここでは熊楠はエコロジーを「植物棲態学」と訳しています。

奇絶峡(きぜつきょう)は植物活状学にもっとも有用の所に候。これはエコロギーと申し、近来発達の学問にこれあり。小生が一昨々年ロンドンで一寸発端を出し置き候如く植物と植物と相互の関係を知る事もっとも必要、また植物と動物、植物と無機物との関係を見るにももっとも必要なり。

ー 「奇絶峡保勝に関し南方先生より本社毛利に寄せられたる書」『牟婁新報』大正5年(1916年)9月23日付

 『全集』には収められていないこちらの文章では熊楠はエコロジーを「植物活状学」と訳しています。(奇絶峡は植物活状学にもっとも有用の所に候:南方熊楠の言葉

 熊楠が使ったエコロジーという言葉には生態学という学問の意味しかありませんが、熊楠が行った神社合祀反対運動は生態学的な知見を社会運動に活かしたものであり、社会運動としてのエコロジーの先駈けであると言えます。

(てつ)

2024.5.16 UP

参考文献