熊野は蛮野の地
かくて帰朝しても一向歓迎さるる人もなきより…、熊野の勝浦、それから那智、当時実に英国より帰った小生にはじつにズールー、ギニア辺以下に見えた蛮野(ばんや:文化が開けていないこと、野蛮)の地に退居し、夏冬浴衣に縄の帯して、山野を跋渉(ばっしょう:歩ききめぐること)し、顕微鏡と鉛筆水彩画と紙だけがこればかりの身代で、月々家弟より二十円あてがいで、わびしくもまたおかしくも幾そばくその月日を送りおりたり。
ー 岩田準一宛書簡 昭和6年8月20日付『南方熊楠全集』9巻
南方熊楠の目には熊野はアフリカのズールー、ギニア辺りより野蛮な、原始的で未開の、蛮野の土地に見えました。熊野の野蛮性に惹かれて、熊楠は熊野を定住の地に選びました。
熊楠の知性は熊野の野蛮性に触れることで鍛え上げられました。もし熊楠が別の場所に定住していたとしたら熊楠の学問はまた別の形になっていたことでしょう。
(てつ)
2024.12.22 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』9巻、平凡社
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