熊野神社略記
熊野神社の所在地という意味でその地を熊野郷と呼ぶようになり、その熊野郷は上熊野と下熊野の二村にわけ、供田や神饌田を有して社家と神子の両家で神事をとり行い、一、二、三の鳥居の続いた大社でした。神前を流れる川で手を清めて参拝したので、その御手洗川を熊野川と呼ぶようになりました。享保十年(1725)七月におそろしいひでりが続いたとき、当時の神官横越阿波守則恒が藩主の命うけて、十七日間の雨ごいの祈祷をしました。領内の神官全員参列しての神事でしたが、その七日目に雨が降り出し、霊験をたたえて参拝する人の列が続いたと伝えられております。木草学(薬学)の大家、富山藩主前田利保公は、領内の巡視にはいつも当神社へ立寄り、神前へ詣でては五穀の豊作と天平の泰平を祈り、その祈願料として高を十石を奉納になりましたが、これは明治維新まで続きました。
以上
「平成祭データCD」より引用