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当社は古く延喜の制小社に列し國幣にあず かった名社で現在社地上段に鎮座す。 当社は、天正十年長曽我部元親が阿波國侵攻 の際黒瀧寺と共に燒討に逢い更に嘉永年間再 度の火災によって古記に乏しいが、鎌倉時代 乾元二年山伏不動院惟金撰「那伊勢託宣」「 湯浅家先祖相続次第記」によれば紀州湯浅の 族湯浅壱岐守藤原兼行が熊野十二社権現を本 社地に勧請して十二社権現とよぶように到った。 明治三年稲飯神社と改称し明治五年郷社に 列し明治三十五年旧社名宇奈爲神社に復す。 安産守護、夫婦和合、延命息災、五穀豊穣を祈 念する者が多い。 社宝に乾元二年那伊勢託宣記、乾元二年神 楽鈴、十二社罐子、牛王神符、八咫烏の牛王 宝治及び應永の鰐口二個、宝剣一振あり、 付近に十二社七不思議の御靈顕がある。 例大祭 十月七日 |
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社殿は十二の本殿を具備し、境内六百坪(當村共有地)あり、式社略考に曰く「木頭谷奈井瀬邑に十二社権現と 云ふあり、奈井瀬は宇奈井瀬の轉語なり、此の邑の里長の先祖を木頭忌部政重と云ふ、百三代後花園院康正年 中の古帳を傳へたり、當年まで三百五十年餘に及べり、偖又永禄年中三好大状、元禄年中太田文に宇奈瀬殿と 見え、阿波國兵将居城記に宇奈瀬龜之進と出でたるも此家の祖先なるべし、又阿津江といふ所に、神祇峠、祓 川などの地名もあり、又十二社権現行在所に怪き橿あり、神代よりの古木にて、影向の橿なりと云ひ傳へた り、故思ふに、里正の祖其所の領主にて、神職を兼帯せしと見ゆ云々。」 |
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Thanks 玄松子さん
2001.7.30 UP
No.89