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熊野神社(貴布禰神社境内社):埼玉県秩父市下吉田6739

TATSUさん&竹内さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

大干ばつの折に熊野大神の社に請い、水の神・高龗神を勧請

TATSUさんからのご投稿

貴布禰神社境内社

場所

秩父市下吉田(字井上)6739

塚越の熊野神社より西武秩父駅方面行きバス乗車、板倉入口バス停下車徒歩すぐ。
貴布禰神社はバス道路に面して、新しい石の鳥居が立ち、奥に木の二の鳥居が立つ。
境内は広く、神楽殿もある。
境内社は二棟の合殿で拝殿の右側に建てられており、左は、稲荷神社、天照皇大神社、
右には、熊野神社、榛名神社、諏訪神社、天神社、稲荷神社が祀られている。

貴布禰神社境内社
貴布禰神社境内社

貴布禰神社境内社
熊野神社

熊野神社御祭神

不詳

熊野神社御由緒

不詳

新編武蔵風土記稿」下吉田村の項には

貴船社 祭神高龗神(たかおかみのかみ)、三月廿八日太々神楽を奏す  
例祭六月廿七日・廿八日、神職宮川上総、
太神宮 諏訪社 稲荷社 熊野社 天王社

と記述されている。
その当時より、貴布禰神社の末社であったようだ。

貴布禰神社

貴布禰神社鳥居
貴布禰神社鳥居

貴布禰神社拝殿
貴布禰神社拝殿

(TATSUさん)

2010.1.21 UP

竹内さんからの情報提供

貴布禰神社の御由緒について竹内さんから情報提供いただきました。ありがとうございます。
創建当初から熊野の神様をお祭りしていたと伝えられているようです。(てつ)

貴布禰神社ホームページ

貴布禰神社 御由緒

(境内案内板の転記)

穂積君が水の神として祀り始めた社、祭神は高龗神

 当社の創建については、社記に次のように語られている。

 昔、櫛玉速日尊の御子、可美真智の子孫である穂積丞稲負君は、知知夫国造と同じく当国へ来て勧業殖民に務めた。天照大神と熊野大神を奉斎し、神の心に叶い、順調であった穂積君の開墾事業ではあったが、ついにその危機が訪れた。

時に弘仁九年、大干ばつが起こり、水は涸れ、地は乾き、稲はことごとく萎えてしまった。これを見た穂積君は深く憂い、斎戒沐浴の後、二人の子どもとともに熊野大神の社に請い、高龗神を勧請して、号泣して降雨を祈り、村民もこれに従って神の助けを請うた。

その祈りが神に通じ、慈雨大いに降り、水陸共に元に復した。更に、雨が止んだかと思うと、数か所から清泉が噴出し、田に水を満たしたので、その年の秋には豊かな収穫があった。歓喜した人々は、この泉を神井と称え、これにちなんで村の名も井上と改めたのであった。その後、この近辺の諸村を総称して宜田郷と呼んだ。今の「吉田」という呼称はここから起こったものと言われている。

 その後も当社は度々神威を顕し、水の神として篤く信仰されるに至った。殊に正暦二年の大干ばつを救った時は、遠近の諸人が競って財貨を寄進したと伝え、この時京都の貴布禰大神を分祀して以来、貴布禰大明神(貴船大明神とも記す)と称した。下って、明治六年には下吉田村の村社となった。

主祭神

高龗神

例祭日
  • 春大祭(四月三日)
  • 秋大祭(十月第一日曜日)

(竹内さん)

2023.2.14 追記

(TATSUさん&竹内さん)

No.1191

2010.1.21 UP
2023.2.13 更新

参考文献


埼玉県朝霞市宮戸

読み方:さいたまけん あさかし みやど

郵便番号:〒351-0031

朝霞市HP

朝霞市 - Wikipedia
朝霞市(あさかし)は、埼玉県の南部に位置する市。
人口は約14万人。武蔵野台地の中北端にある。