■ 熊野の歌

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◆ み熊野の浦


 み熊野は熊野の美称で、み熊野の浦はどこか一つの浦をいうのでなく、熊野の海辺全般のことをいうのだと思います。

 「み熊野の浦の浜木綿」で、「かさねん」を起こす序詞として用いられています
 
浜木綿は、ハマオモトのこと。海辺に生えるヒガンバナ科の多年草。花が、木綿(ゆう。コウゾの皮の繊維で作った白い布)でできているかのように見えることから浜木綿(はまゆう)というそうです。幾重にも葉が重なっているので、「幾重なる」「百重なる」などを起こす序詞となりました。


柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

『万葉集』(巻第四 496・新499)

み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど 直に逢はぬかも

熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。
「み熊野の浦の浜木綿」は「百重なる」や「幾重なる」などの序詞。

『拾遺和歌集』(巻第十一 668)

み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なる心は思へどただに逢はぬかも

熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、幾重にも幾重にも百重にもあなたのことを思っていますが、直接には会えないことだ。
この歌は『万葉集』巻第四の496の歌の異伝。

 和歌山県新宮市三輪崎(みわさき)の海岸近くの孔島(くしま)という小さな島は、浜木綿(はまゆう)の群生地として知られていて、そこには、人麻呂の「み熊野の浦の浜木綿(はまゆふ)百重(ももへ)なす心は思へど 直に逢はぬかも」(『万葉集』巻第四 496・新499)の歌碑が建っています。


伊勢(いせ)

『新古今和歌集』(巻第十一 恋歌一 1048)

題しらず/伊勢

み熊野の浦よりをちにこぐ舟のわれをばよそにへだてつるかな

熊野の浦から遠くに漕ぐゆく舟のように、あなたは私を遠くに隔てたのですね。


平兼盛(たいらのかねもり。?〜990)

『拾遺和歌集』(巻第十四 恋四 890)

屏風にみ熊野の形描きたる所

さしながら人の心を見熊野の浦の浜木綿幾重なるらん

(兼盛 巻第十四 恋四 890)

ありありとあなたの心を見てしまった。み熊野の浦の浜木綿の葉が幾重にも重なっているように、あなたの私を隔てる心の壁は幾重にもなっているのだろう。


道命阿闍梨(どうみょうあじゃり。974〜1020)

『後拾遺和歌集』(巻第十五 雑一 885)

熊野へまい(ゐ)るとて、人の許(もと)に言ひつかはしける /道命法師

忘るなよ忘ると聞かば み熊野の浦のはまゆふうらみかさねん

忘れないでください。もし忘れたと聞いたならば、熊野の浦の浜木綿のように重ね重ね恨みますよ。(⌒-⌒)


後深草院少将内侍(ごふかくさいんのしょうしょうないし。正四位下左京権大夫藤原信実の娘。鎌倉時代)

・『夫木和歌抄』(巻二十三 雑五 10581)

三熊野のうらわに見ゆるみふねじま かみのゆききに漕ぎめぐるなり

み熊野の浦廻(うらわ。海岸の曲がりくねった所)に見える御船島。神の往還に御船島を漕ぎめぐるのだなあ。

 浦廻とは海岸の曲がりくねった所をいう言葉で、現在は河口から2kmほど上流に浮かぶ御船島ですが、当時は現在よりも海に近かったのでしょうね。


10世紀末頃に成立したとされる中古の物語『落窪物語』より。作者は不明。

・『落窪物語』巻二―落窪姫君―

へだてける人の心をみ熊野の浦のはまゆふいくへなるらむ

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

(てつ)

2005.8.30 UP
2011.11.9 更新

 ◆ 参考文献

伊藤博校注『万葉集―「新編国歌大観」準拠版 (上巻)』角川文庫
桜井満訳注『万葉集(上)』旺文社文庫
新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』岩波書店
新日本古典文学大系8『後拾遺和歌集』岩波書店
新日本古典文学大系11『新古今和歌集』岩波書店

■歌の作者
人麻呂…2首
伊勢…1首
平兼盛…1首
道命…1首

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