■ 熊野の歌

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◆ 釈迢空(折口信夫)


 釈迢空(しゃくちょうくう)は、民俗学者・国文学者の折口信夫(おりくちしのぶ。1887〜1953)が、歌や詩、小説などの創作ものを発表するときに使用した名前。
 釈迢空の代表的歌集『海やまのあひだ』には、熊野、奥熊野で詠まれた歌が収められています。 最近の歌人の歌ですので、訳なしでご紹介します。

・大正六年

熊野

朝海の波のくづれに、あるく鴉。こゝの岸より行くわれあるを

鳥の鳴く朝山のぼり、わたつみのみなぎらふ光りに、頭をゆする

朝の間の草原(くさふ)のいきれ。疲れゆく 我(われ)を誰知らむ。熊野の道に

朝あつき村を来はなれ、道なかに、汗をふきつゝ ものゝさびしさ

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

・大正四年以前、明治四十四年まで

奥熊野

たびごゝろもろくなり来ぬ。志摩のはて 安乗(あのり)の崎に、燈(ひ)の明り見ゆ

わたつみの豊はた雲と あはれなる浮き寝の昼の夢と たゆたふ

闇に 声してあはれなり。志摩の海 相差(あふさ)の迫門(せと)に、盆の貝吹く

天づたふ日の昏れゆけば、わたの原 蒼茫として 深き風ふく

名をしらぬ古き港へ はしけしていにけむ人の 思ほゆるかも

山めぐり二日人見ず あるくまの蟻の孔に、ひた見入りつゝ

二木(にき)の海 迫門のふなのり わたつみの入り日の濤に、涙おとさむ

青山に、夕日片照るさびしさや 入り江の町のまざまざと見ゆ

あかときを 散るがひそけき色なりし。志摩の横野の 空色の花

奥牟婁の町の市日(いちび)の人ごゑや 日は照りゐつゝ 雨みだれ来たる

藪原に、むくげの花の咲きたるが よそ目さびしき 夕ぐれを行く

大海にたゞにむかへる 志摩の崎 波切(なきり)の村にあひし子らはも

ちぎりあれや 山路のを草莢さきて、種とばすときに 来あふものかも

旅ごゝろ ものなつかしも。夜まつりをつかふる浦の 人出にまじる

にはかにも この日は昏れぬ。高山の崖路(ほきぢ) 風吹き、鶯のなく

那智に来ぬ。竹伯(なぎ) 樟の古き夢 そよ ひるがえし、風とよみ吹く

青うみにまかゞやく日や。とほどほし 妣(はは)が国べゆ 舟かえるらし

波ゆたにあそべり。牟婁の磯にゐて、たゆたふ命 しばし息づく

わが乗るや天(あめ)の鳥舟 海(うな)ざかの空拍つ浪に、高くあがれり

たまたまに見えてさびしも。かぐろなる田曾(たそ)の迫門より 遠きいさり火

わたつみのゆふべの波のもてあそぶ 島の荒磯(ありそ)を漕ぐが さびしさ

わが帆なる。熊野の山の朝風に まぎり おしきり、高瀬をのぼる

うす闇にいます仏の目の光 ふと わが目逢ひ、やすくぬかづく

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 『海やまのあひだ』には様々な場所で詠まれた歌が納められていますが、熊野に暮らす者としては『海やまのあひだ』という歌集のタイトルはそのまま開けた平野がなく山からいきなり海になるリアス式の地形の熊野のことをいっているように感じられます。

 

 折口信夫の小栗判官論
 1『餓鬼阿弥蘇生譚』
 2『餓鬼阿弥蘇生譚の二』
 3『小栗判官論の計画 餓鬼阿弥蘇生譚終篇』

(てつ)

2005.9.20 UP

 ◆ 引用文献

『折口信夫全集 第二十一巻』中央公論社
   引用箇所は76〜77頁、105〜107頁

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・海やまのあひだ
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