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◆ 御船島


御船島(熊野川の三重県側の岸から)

 熊野川の、河口から2kmほど上流に浮かぶ「御船島(みふねじま)」。
 行政的には三重県南牟婁郡紀宝町に属しますが、熊野速玉大社の境内の一部で、熊野速玉大社の例大祭「
御船祭(みふねまつり)」で祭礼の場となる島です。

 熊野速玉大神・熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)という2神を主神として祭る速玉大社は、毎年10月15〜16日に例大祭を行います。15日には熊野速玉大神の大祭である「神馬渡御式(しんめとぎょしき)」が行われ、16日には熊野夫須美大神の大祭である御船祭が行われます。

 御船祭は夫須美大神が年に一度、「神幸船(みゆきぶね)」で御船島に渡り、再び速玉大社の社殿に還ってくるという行事で、夫須美神が来臨した姿を毎年複演している祭礼。
 御船島の周辺では9艘の「早船」による競争や「諸手船(もろたぶね)」の上での女装の男子が櫂を持って踊る「ハリハリ踊り」などが行なわれます。

 『夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)』という鎌倉後期の私撰和歌集(藤原長清編、36巻、1310年頃成立)に御船島が登場する歌が2首あります。

・『夫木和歌抄』より2首

1.後深草院少将内侍(ごふかくさいんのしょうしょうないし。正四位下左京権大夫藤原信実の娘。鎌倉時代)の歌。

三熊野のうらわに見ゆるみふねじま かみのゆききに漕ぎめぐるなり

(訳)み熊野の浦廻(うらわ。海岸の曲がりくねった所)に見える御船島。神の往還に御船島を漕ぎめぐるのだなあ。

(後深草院少将内侍 巻二十三 雑五 10581)

 浦廻とは海岸の曲がりくねった所をいう言葉で、現在は河口から2kmほど上流に浮かぶ御船島ですが、当時は現在よりも海に近かったのでしょうね。

2.増基(ぞうき。平安中期の歌僧)の歌。

そこの瀬にたれ棹(さを)さしてみふねしま かみのとまりにことよさせけむ

(訳)そこの瀬に誰がを棹さして神のお乗りになる船を操り、御船島を神の宿所とお決めになったのだろう。

(増基 巻二十三 雑五 10582)

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

(てつ)

2003.9.21 UP
2003.9.24 更新
2003.10.6 更新

 ◆ 参考文献

久保昌雄/久保広晃 撮影、熊野文化企画 編集『今昔・熊野の百景』はる書房
みえ熊野の歴史と文化シリーズ1『熊野道中記
 いにしえの旅人たちの記録』みえ熊野学研究会編

■参考サイト
国際日本文化研究センター
 和歌データベース

■「御船島」が登場する歌
・夫木抄…2首

■歌の作者
・後深草院少将内侍…1首
増基…1首

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